河内タカの素顔の芸術家たち。
河内タカの素顔の芸術家たち。
マン・レイMAN RAY / August 10, 2021
芸術は崇高な遊びと考えていた
マン・レイ
夢や無意識の力を借りた芸術として知られる「シュルレアリスム」の写真家といえば、まず思い浮かぶのがこの人、マン・レイです。本名であったエマニュエル・ラドニツキーを極端に短くし、Man Ray(ちなみにRayは「光線」を意味する単語です)と名乗るようになり、自分が描いた絵画を記録するためにカメラを手に入れたことが写真との最初の出会いでした。パリを拠点にしていた時期が長かったため、フランス人アーティストだと思われがちですが、実はユダヤ系ウクライナ人の父とベラルーシ人の母を持つアメリカ人アーティストです。
彼がまだニューヨークに住んでいた頃、後にジョージア・オキーフの夫となるアルフレッド・スティーグリッツが運営していたギャラリー「291」でロダンやセザンヌ、ブランクーシなどの作品と遭遇したことに加え、パリからニューヨークに移住していたマルセル・デュシャンとの出会いが、若きマン・レイにとって大きな転機となります。そして、デュシャンの友人であった画家のフランシス・ピカビアとともに、ヨーロッパ発祥の「ダダ(無意味さや不条理を掲げた反芸術運動)」の流れを汲む「ニューヨーク・ダダ」を創始することとなります。
そして21歳の時にエコール・ド・パリで沸いていたパリに向かい、当時から芸術家が多く住んでいたモンパルナスにアトリエを構え、絵画と写真を使った芸術にさらにのめり込んでいきます。マン・レイより一足早くパリに戻っていたデュシャンを介して、ピカソ、エリック・サティ、アンドレ・ブルトン、ジャン・コクトーといった当時の先鋭的な画家や音楽家や詩人たちとも交友を持つようになりと、シュルレアリスムを代表するアーティストとなっていくのです。
写真に関しての知識と経験があったマン・レイは、様々な手法を取り入れた芸術表現を行ない、それに並行して、ピカソやダリといった芸術家たちや、彼らのミューズとなった女性たちのポートレート写真も数多く残しました。ファッション撮影も得意とし、「ヴォーグ」や「ハーパーズ・バザー」などに掲載されるほどファッション写真家としても成功を収めたのですが、最初からアートの制作と商業写真の仕事をきっちり分けていたため、自身の創造的な芸術活動は一切ブレることがありませんでした。
写真のみにとどまらず、絵画、映画、彫刻、コラージュなどにおいて、ユーモアや奇怪に満ちた作品を数多く世に送り出したマン・レイは、恋多きアーティストだったことでも知られています。特に、モデルで歌手だったキキや、アメリカ生まれで戦場カメラマンとして知られるようになるリー・ミラーと恋仲であったことは有名で、そのような恋の遍歴も自身の創造性や革新的な表現に大きく影響を及ぼしていたことは、マン・レイの芸術にとって大きな特徴と言えるかもしれません。
そのリー・ミラーと暗室で現像をしていた時に偶然に誕生したと言われる、白と黒を反転させる「ソラリゼーション」を発明したマン・レイでしたが、自分のスタイルを極めようとする旧来のアーティストのあり方とは異なり、軽やかでどこかつかみどころのない芸術家という感じがします。だからなのか、自身が撮ったお洒落で茶目っ気のあるセルフポートレートを見るたびに、なんて楽しく創造性に満ちた人生を謳歌した人だったのだろうと、どこか憧れの気持ちをいつも抱いてしまうわけなのです。
展覧会情報
「マン・レイと女性たち」展
会期:9月6日(月)まで開催中
会場:Bunkamura ザ・ミュージアム
住所:東京都渋谷区道玄坂2-24-1 Bunkamura B1F
https://www.bunkamura.co.jp/museum/exhibition/21_manray/