河内タカの素顔の芸術家たち。

「アートはみんなのために」を実践し続けたキース・ヘリング【河内タカの素顔の芸術家たち】Keith Haring / January 10, 2024


キース・ヘリング Keith Haring
1958-1990 / USA
No. 122

アメリカ北東部ペンシルベニア州に生まれる。1980年代初頭にニューヨークの地下鉄駅構内で、使用されていない広告板を使ったサブウェイ・ドローイングと呼ばれるプロジェクトで注目され、早い段階から国際的に高い評価を受ける。「アートはみんなのために」という信念のもと、核放棄、性的マイノリティ、エイズ予防のためのスローガンなど、彼のアート活動は社会を変えようとする純粋な動機から来るものだった。1990年にエイズによる合併症により31歳で死去。アーティストとしての活動したのは実質10年ほどだった。

アートはみんなのために
キース・ヘリング

 キース・ヘリングは1980年代のニューヨーク・アートシーンを象徴するアーティストのひとりです。暗い地下鉄の構内でチョークを使って素早く描いたドローイングで知られるやいなや、イーストヴィレッジの小さなギャラリーでの展示を皮切りに、かなり短期間のうちにエスタブリッシュ・ギャラリーで大規模な展覧会を開催するまでになります。そして夜になると、伝説のナイトクラブとして知られるパラダイス・ガラージや磯崎新氏が改修を担当したザ・パラディアムなどで音楽とクラブシーンに深く関わり、HIVの感染症によって亡くなるまでまさにフルスピードで80年代を駆け抜けたアーティストでした。

 当時のニューヨークは今よりずっとローカル感があり、アーティスト同士のコミュニティーが存在していたこともあって、僕も同じ街に住んでいたのでキースとは何度か会ったことがありました。ソーホーのトニー・シャフラジ・ギャラリーで行われた個展のオープニングにはもの凄い群衆が詰めかけ、あまりの騒ぎにパトカーと警察が何人も駆けつけるほどの騒動になったのですが、「別にどうってことはないさ、楽しもうぜ!」ともみくちゃの人だかりの中で飄々とした彼の姿を今も鮮明に覚えています。また別の日に真夜中のナイトクラブで汗だくになって踊っている姿や、1986年にオープンさせた黒の線画に店内がびっしりと埋め尽くされた「ポップショップ」でも、子供達に笑顔を振りまく姿を見かけていたほどです。

 キースの精力的な制作はアート界でも知れ渡っていただけに、いったい彼はいつ寝ているんだというほどエネルギーに満ちていたのですが、そもそも彼のアート活動というのが、社会を変えようとするポジティブな姿勢から来るものだったというのは、当時あまり語られていなかった気がします。それと超人気者だったのは違いなかったのですが、その一方で美術批評家たちからはそれほど評価されていなかったのです。そして亡くなった後わりと年月が経ってようやく正当な評価がされるようになっていったのですが、裏を返せば、彼がいかに時代よりかなり先を行っていたということの証だと言えるのかもしれません。

 制作中のキースの姿は今も映像や写真などで見ることができるのですが、巨大なスケールでも下書きもなしでどんどん描いていき、子供の頃からいつもノートに落書きやドローイングをしていたらしく、少年時代のイノセントさが常に息づいているのも大きな魅力です。また、トレードマークの踊る人たちや天使、犬やUFOやピラミッドといった図柄は、言葉や年齢や人種を超えて誰もが感じることができるばかりか、そこに強い社会的なメッセージが込められているのは誰の目にも明らかです。中でも彼が死の間際まで描いていた「ラディアント・ベイビー(光を放つベイビー)」と呼ばれている赤ん坊のイコンは、社会の色に染まっていな完璧な人の姿であるとともに、未来への希望の象徴であると考えられています。キース自身がイコンの意味をほとんど語ることがなかったゆえに、逆に見るものの想像力を掻き立てるのかもしれません。

 80年代のニューヨークは今とはかなり違って、家賃や物価も安く、お金がなくても工夫次第でいくらでもアート制作ができました。安くて美味しい飲食店があり、アートや音楽シーンも活気に満ち溢れ、世界中からいろいろなタイプのアーティストたちが集まっていました。その一方で、ドラッグや犯罪、そしてHIVやエイズがアーティストたちのすぐ身近にも蔓延し、コミュニティーにも重く暗い翳りが常に感じられたのも事実です。社会問題に敏感で同性愛者であったキースは、そのことを他の誰よりも作品に積極的に反映させていたわけですが、そんな彼の切実ともいえる願いや希望が今も輝きが失われていないところが、このアーティストの凄いところではないかと思ってしまうのです。

Illustration: SANDER STUDIO

『Keith Haring: Art Is for Everybody』(DelMonico Books)ロサンゼルスで行われている同名の展覧会のカタログ。絵画はもちろん、ビデオや彫刻、地下鉄の落書きなどまで、キース・ヘリングの作品を幅広く特集する一冊。

展覧会情報
「キース・ヘリング展 アートをストリートへ」
会期:開催中〜2024年2月25日
開館時間:10:00~19:00 金曜日・土曜日は20:00まで
会場:森アーツセンターギャラリー
住所:東京都港区六本木6-10-1 六本木ヒルズ森タワー52階
https://kh2023-25.exhibit.jp


文/河内 タカ

高校卒業後、サンフランシスコのアートカレッジに留学。NYに拠点を移し展覧会のキュレーションや写真集を数多く手がけ、2011年長年に及ぶ米国生活を終え帰国。2016年には海外での体験をもとにアートや写真のことを書き綴った著書『アートの入り口(アメリカ編)』と続編となる『ヨーロッパ編』を刊行。現在は創業130年を向かえた京都便利堂にて写真の古典技法であるコロタイプの普及を目指した様々なプロジェクトに携わっている。この連載から派生した『芸術家たち 建築とデザインの巨匠 編』(アカツキプレス)を2019年4月に出版、続編『芸術家たち ミッドセンチュリーの偉人 編』(アカツキプレス)が2020年10月に発売となった。

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