河内タカの素顔の芸術家たち。
河内タカの素顔の芸術家たち。
剣持勇Isamu Kenmochi / June 10, 2021
ジャパニーズ・モダンを提唱したデザイナー
剣持勇
戦後に活躍したデザイナーの一人として知られる剣持勇は、1952年6月に完成したばかりのロサンゼルスのイームズハウスを訪れました。その時のことを「軽やかな家でその室内のすばらしさといったらありません。居間には畳を敷き、五色の座布団が置いてあり、ここに座ると太平洋を広々と見下ろせる。イームズは私の肩をたたき『君の国が見えるよ。ここからあの方向に』とさも嬉しげに語ったのでした」(雑誌『室内』1964年12月号)という感想を残しています。
雄大な太平洋を臨む小高い丘にあったその鉄骨とガラスでできた建物の室内には、畳や座布団、天井からはなんと提灯までもがぶら下がっていました。剣持はそんなイームズ夫妻の日本かぶれの様子を垣間見ながら、ユーカリの木々に囲まれたその近代的なその邸宅と、装飾を排し均整のとれた京都の桂離宮との類似点に思いを巡らしていたのかもしれません。そして、思いもよらなかったこの貴重な体験がきっかけとなり、帰国後の剣持は日本独自の良さを押し出す「ジャパニーズ・モダン」を提唱していくことになっていくのです。
インテリアと工業デザイナーとして大きな功績を残した剣持の作品で最も身近にあるものが、あのヤクルトのプラスチック容器です。また、1960年にホテルニュージャパンの内装を手がけた際、館内のバーラウンジに置くためにデザインした「ラタン・チェア」は彼の代表作として知られ、バウハウス出身のデザイナーとして知られるマルセル・ブロイヤーの推挙によって、日本の家具としては初めてニューヨーク近代美術館(MoMA)のパーマネントコレクションとして所蔵された作品でもあります。
日本の籐編みの高度な技術を最大限に使い、手作業によって丁寧に編み上げられていたこの椅子は、一脚作るのに約十時間も要したと言われています。加えて、イームズ夫妻が商品化したことで知られる合板の曲げの技術に触発された作品であるという点も海外から高く評価されたのかもしれません。実は、剣持がイームズを訪ねたのもこの技術を学ぶためだったようで、彼らの製作行程などを細かく見聞きし、それを自身のオリジナル作品に反映させたというわけです。
1958年に発売された「スタッキング・スツール」はシンプルな美しさと機能性を兼ね備えたロングセラーで、今も変わらず〈秋田木工〉によって生産され続けています。また、自然の形状を素直に反映させたプロダクトとして思い浮かぶのが、熱海ガーデンホテルのロビー用の椅子としてデザインされた「柏戸イス」です。山形県が生んだ力士・柏戸の横綱昇進を記念して贈呈されたことからこの愛称となった重厚感に溢れるでっぷりとした椅子は、木目が残る杉の根元をブロック状に積み重ねて作ったもので、大木を削り出したままのようなインパクトのあるデザインが大きな注目を浴びました。
剣持は、商工省の工芸指導所で働いていた頃にドイツ人建築家のブルーノ・タウトからモダニズム・デザインに関して細やかな指導を受けたことに始まり、北米に視察に訪れた際はイームズ夫妻に加えて、ミース・ファン・デル・ローエやバックミンスター・フラーといった巨匠たちからも直にモダンデザインのエッセンスを吸収していきます。そのような貴重な体験が、後の彼の創作活動に大きく影響を及ぼしていくわけですが、単なる欧米デザインの模倣で終わらず、日本の伝統技術の魅力を見直していったことで、やがて世界的にも高く評価されるようになるジャパニーズ・モダンを打ち出す革新的なデザイナーとなることができたというわけです。