河内タカの素顔の芸術家たち。
一瞬の水の揺らぎを描いた福田平八郎【河内タカの素顔の芸術家たち】Heihachiro Fukuda / September 10, 2023
一瞬の水の揺らぎを描いた画家
福田平八郎
1971年に初来日したデイヴィッド・ホックニーは、京都市美術館で開催されていた「京都日本画の精華展」を訪れたそうですが、そこで遭遇したのが福田平八郎の『漣(さざなみ)』という日本画でした。その絵の研ぎ澄まされたような色使いと構図に驚き、のちにスイミングプールに代表される一連の水の表現を生み出すきっかけとなったとされています。このエピソードを知った随分あとに、同じ画家が描いた『雨』という作品を国立近代美術館で見て以来、僕はこの画家にますます興味を抱いてしまいました。
画面いっぱいに規則的に瓦屋根だけが描かれているので、まあ普通であれば『瓦』というタイトルであるべきです。しかしこれがなぜ『雨』であるかというと、よく見ると格子状に並んだ瓦の表面に数多くの雨つぶが精巧に描かれており、しかもまるで動画のように刻一刻と乾いていく様を平八郎は繊細に描写をしていたからです。
「ある日、夕立が来るなと窓をあげて見ると、もう大きな雨粒がぽつぽつと落ち始めました。そして大きな雨脚を残しては消え、残しては消えてゆきます。それが生きものの足跡のようにも思われて心を打たれました。それがこの作品を成す由因とはなりましたが、しかし私は最後には瓦の構成を主とし、雨を副としてこの作品を描き上げました」(「自作回想」『三彩容臨時増刊99』1958年4月号)
灰色の瓦を縁取る黒色の大胆な線はソル・ルイットやブリジット・ライリーらのドライなミニマル絵画を思い起こさせるものの、そこに雨粒を乗せることでまったく新しい生命を与えています。普段よく見かけるようなごく日常の風景を、まったく思いもつかない方法で描いた平八郎の発想力には本当に驚かされてしまいました。
一方のホックニーを虜にした『漣』は、琵琶湖で釣りをしている時に水面の漣を描写した作品で、周囲の風景は一切なく波以外は描かれていません。二つ折りの屏風絵は画面全体に白金(プラチナ)箔が貼られ、その銀地の上に風によって水が動く様子を、群青色で多数の短い線を連らせ、銀色の地を水面に見立てて描いているのです。静寂に始まり静寂に消えてゆく、まさに美と静寂を合わせ持つ作品であり、また『雨』における瓦の水滴の繊細な描写とつながっているように見えます。
全面がシルバーで覆われている絵で思い出すのは、個人的にはアンディ・ウォーホルの『エルヴィス』だったりするのですが、日本画の枠を軽く飛び越えて現代アートといっても十分に通用する斬新さがこの絵には確かにあるのです。『漣』は近くで見るとただ不定型な線の集まりなのに、距離をとって全体を眺めるとそれはまぎれもなく微風になびく水面に他ありません。この絵は平八郎の代表作と謳われるだけでなく、近代の日本絵画に大きな革新をもたらしたと言われても納得してしまうほどで、このような作品が近代日本画の中から生まれたことは本当に驚きです。
「日本画=浮世絵」ほどの知識しかなかったと思われるホックニーにとって、平八郎の斬新すぎる表現がいかに衝撃だったかが容易に想像できます。その強烈なインスピレーションをホックニーはロサンゼルスに持ち帰り、スイミニグプールの水面が動いて静まるまでの束の間の様子を平八郎のように凝視し、そして導き出したのが水色のロープや線が絡まり合うような前代未聞の水の表現だったというわけです。このように現代アートの文脈で引用されるようになるとは、おそらく平八郎は考えもしなかったはずですが、この先も多くの可能性をもたらしてくれそうな稀有な画家であるのは間違いなさそうです。
展覧会情報
「没後50年 福田平八郎展」
会期:2024年3月9日(土)〜2024年5月6日(月)
会場:大阪中之島美術館
住所:大阪府大阪市北区中之島4丁目3−1
https://nakka-art.jp/exhibition-post/fukudaheihachiro-2023/