河内タカの素顔の芸術家たち。

Gerhard Richter / July 10, 2022 河内タカの素顔の芸術家たち。
ゲルハルト・リヒター

Gerhard_Richter
ゲルハルト・リヒター Gerhard Richter
1932 – / DEU
No. 104

ドイツのドレスデン生まれ。ベルリンの壁が作られる直前の1961年に西ドイツのデュッセルドルフに移住し、デュッセルドルフ芸術アカデミーで学ぶ。1960年代より作家活動を始め、身近な写真を拡大して描く「フォト・ペインティング」、ガラスや鏡を用いた作品、モザイクのように多くの色を並べた「カラーチャート」、そしてスキージという木製のへらを使って描かれる抽象絵画など様々な手法を用いて制作を行う。1997年にはヴェネチア・ビエンナーレで金獅子賞を受賞し、世界の主要美術館で回顧展を開催するなど、世界で最も重要なアーティストとして知られる。現在日本で行われている個展では、自身のコレクション作品を中心に初期から新作のドローイングまでを展示し、会場構成もリヒター自身が考案したものを元にしている。

写真と絵画の領域を往来するアーティスト
ゲルハルト・リヒター

 ドイツの現代アートを代表する画家であるゲルハルト・リヒター。現在、東京国立近代美術館で日本の美術館では16年ぶりとなる大規模な展覧会が行われています。油絵だけでなく写真やガラスや鏡など様々な素材を使い、観るものの想像力を掻き立てる多彩な作品群に圧倒されますが、個人的にはリヒターといえば写真からトレースして描く「フォト・ペインティング」のアーティストとしての姿をまず思い浮かべてしまいます。写真を絵画に持ちこんだのはリヒターに限らず、アンディ・ウォーホルなど戦後のアーティストたちが多種多様なアプローチを行なってきましたが、壁画制作によって若い頃から腕を磨いていたリヒターも、60年代初期から写真をトレースしキャンバスに描き始めるや、その作品により彼の名前は次第に広く知られるようになっていきました。

 リヒターの作風はその当時から、肖像画、静物画、風景画とわりと伝統的な題材ばかりだったのですが、フォト・ペインティングの元ネタとなったのは、自分や他人が撮った写真、あるいは雑誌や新聞からの複製写真です。それらをプロジェクターを使いキャンバスに投写し、忠実になぞるように描かれていました。ようするに、その作業はかなり機械的に進められていたわけですが、にもかかわらず、そこには「リヒターらしさ」というものが常に感じられるのはどういうことなのでしょう。しかも、リヒターは「モチーフとなるイメージの選択基準に意味はない」とずっと公言しているのですが、ほとんど誰が見てもリヒターの作品だと認知できるということは、やはりリヒターならではのスタイルが確固として息づいているという証です。

 今回のビジュアルポスターにもなった、ピンク色の服を着たうつむきぎみの若い女性(リヒターの娘)を描いた『エラ』という印象的な作品があるのですが、同じ展示室には、自身の子供の幼少時を描いたものや、毎夏過ごしていた避暑地の風景画などもあり、そのどれもがリヒター自身が長く手元においていたというくらい思い入れのこもった作品です。これらはどれも日常的なスナップ写真から描いたものであり、輪郭がぶれ、焦点が合わずボケたようなリヒターらしい描き方がされています。リヒターは意図的に写真のように見せて描いているのですが、これは写真表現でなくやはり絵画表現であると考えるのが普通でしょうし、「イメージの選択に意味はない」という本人の言葉に対しても、このように家族を描いていたりするわけだから、やはり意味はあるはずだと考えていいのではないかと思います。

 リヒターのフォト・ペインティングの特徴としてあるのは、元となった写真そのものの物質感を強調することで、撮られているイメージにより真実性を持たせようとしているところかもしれません。それが写真であり絵画でもあると言われる所以で、このアーティストにしかできない類のないフォト・ペインティングが生みだされたということだと思います。加えて、リヒターの最も有名な静物画と名高い蝋燭や頭蓋骨を描いた作品からは、どこか神秘的ともいえる静謐なオーラが感じられるのですが、そこにはリヒターの並外れた技量の高さがあって可能になったことは疑いのないことではないかと思えます。

 さて、リヒターのもうひとつの大きな特徴が、純粋な抽象画を具象画と並行して描き続けたことなのですが、その抽象画の下にはなんらかの具体的なイメージが潜んでいるという幻想をぼくはずっと抱いていました。それはもちろんリヒターが写真的な絵、または写真に直接描いていたからですが、いくつかの例外を除いて彼の抽象画にはイメージなど描かれていないと今回の展示でやっと気付くことができました。ただし、そう分かっていたとしても、リヒターの絵を前に立つと、なんらかのイメージが眠っているのではないだろうかと考えてしまうのは、半世紀以上もかけて創り上げたこの画家のミステリアスな要素や崇高さが、彼のどの絵画にも息づいているからなのかもしれませんね。

Illustration: SANDER STUDIO

『ゲルハルト・リヒター 公式図録』(青幻舎)リヒターの60年間に及ぶ画業を展望する大展覧会「ゲルハルト・リヒター展」の公式図録。初期作品から最新のドローイングまで約140点を収録。

展覧会情報
「ゲルハルト・リヒター展」
会期:開催中〜2022年10月2日
会場:東京国立近代美術館
住所:千代田区北の丸公園3-1
https://www.momat.go.jp/am/exhibition/gerhardrichter/
今後の巡回予定
豊田市美術館:2022年10月15日〜2023年1月29日


文/河内 タカ

高校卒業後、サンフランシスコのアートカレッジに留学。NYに拠点を移し展覧会のキュレーションや写真集を数多く手がけ、2011年長年に及ぶ米国生活を終え帰国。2016年には海外での体験をもとにアートや写真のことを書き綴った著書『アートの入り口(アメリカ編)』と続編となる『ヨーロッパ編』を刊行。現在は創業130年を向かえた京都便利堂にて写真の古典技法であるコロタイプの普及を目指した様々なプロジェクトに携わっている。この連載から派生した『芸術家たち 建築とデザインの巨匠 編』(アカツキプレス)を2019年4月に出版、続編『芸術家たち ミッドセンチュリーの偉人 編』(アカツキプレス)が2020年10月に発売となった。
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