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わたしの好きな岡山。喫茶『街』で、心まであたたまる時間を。写真と文:中川正子 (写真家) #1November 03, 2025
東京から岡山に越してきて、14年が経つ。この連載では、わたしの好きな岡山を、4回にわたって紹介していきたいと思います。
岡山に来てから、ずっと気になっていた建物があった。
蔦がふさふさと絡まっている。
看板には、「街」と書いてある。

街。
わたしがいつか喫茶店を開くとして、
これ以上の名を、思いつけるだろうか。
街。
胸がぎゅっとする、素敵な名前。
どんな店か調べてみたこともある。普通に営業しているようだが、ずっと眺めるだけで充分だった。
前を通るたびに、蔦のシェイプの美しさを写真に収めたりしていた。
そんなある日、目を疑った。
蔦が、ない。
ひげモジャで、豊かな長髪の人が、いきなり丸坊主にしたかのような別人ぶり。

どうしたんだ。『街』。
「猛暑と、最近の大雨の影響で、蔦がごそっと落ちてしまったらしい」と知人が教えてくれた。
そうか。すべては変わりゆく。街も、変わりゆく。ずっと同じだなんて、どうしてそう思ってしまったんだろう。
つるりと丸坊主になった『街』。ドアを開けてみることにした。
満面の笑顔でピンク色をまとったマダムが迎えてくれた。「いらっしゃい」。
初めてなのにずっと前から知っているような親しさ。
席に腰を下ろすと、ころりとしたCDラジカセから知っている曲がジャズアレンジで流れている。なんだっけ、これ。
オフコースの「時に愛は」(1980)だ。
高らかなサックスの音色や鮮やかな造花、お客さんの笑い声に包まれ、もう既に居心地が良い。
次々と常連の方が現れ、リビングのように慣れた様子で席に着く。ママはそれぞれに明るく声をかけ、「いつもの」に応えていく。
あるお客さんは、牛乳を1本持ってきた。ママが頼んでいたのだそう。
彼女を中心に、桃色の温かい輪ができている。はじめてなのに、そこに混ぜてもらったような気持ち。
それからは、朝にちょくちょく行くようになった。
新人中の新人を、ママは分け隔てなく迎えてくれる。御年85歳! 信じられないくらいの若々しさ。〈ピンクハウス〉の大ファンで、私服のほとんどを占めているそう。仕事するにはちょっと動きづらいので、近頃はピンク色のTシャツに。趣味でやっているボウリング用のもの。その上に、息子のお嫁さんが作ってくれたフリルのエプロンを身につける。スタイルがある。おさげ姿が、実にキュート。

天真爛漫にお店を回しているように見えて、実は違う。女性のおひとりさまの隣に座った、声の大きいお客さんに「ちょっと小さめで話してね」とさらりと。パソコンをバチバチ叩くビジネスマンには、「11時半までにしてね。みなさんくつろぎに来るから」って、ウインクするようなキュートさで伝える。こうやって空気を明るく朗らかに保ちながら、50年。
毎度ドアの外まで見送ってくれて、そこで立ち話になる。
いつも本を読んでいるわたしに「ちゃんと勉強できた?」と聞いてくれるママ。
「はい! できました! ママっていう、素敵な人物のありようを、全身で学びました!」
この街に『街』があって、良かった。
写真家 中川 正子

































