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東京・代々木と青山で、近代日本の時代精神を体感する。写真と文:長谷川 香 (建築史家) #3January 21, 2026
ここ数年、都内の大学で東京の都市史について授業をする際には、学生に「明治神宮外苑に行ったことがあるか、またどのようなイメージを持っているか」というアンケートに答えてもらうことにしている。
「野球やラグビーなどスポーツ観戦をする」「都会のオアシス」「イチョウ並木がきれい」「再開発問題が気になる」「映画『君の名は。』の聖地!」といったように具体的なイメージを持っている学生が多い一方で、「行ったことがない」「よく知らない」という学生も1〜3割程度いる(もっともらしくアンケートをとっている私自身も、東京生まれ・東京育ちでありながら、実は大学院で研究対象とするまで、外苑を訪れたことはなかったのだが……)。
そして、少数ではあるが、「外苑」(神社・皇居などの外にある付属の庭園、という意味)という名称自体に興味を持ち、「外苑は神社なのか」「外苑というからには、内苑もあるの?」といった疑問を投げかけてくれる学生もいる。はたして、明治神宮外苑とは、何なのか。
明治神宮が創建されたのは大正時代。今から100年近く前のことだ。明治天皇とその妃・昭憲皇太后をご祭神とし、内苑と外苑という2つの敷地で構成される。
代々木にある内苑は、鬱蒼とした森の中に社殿を擁する、いわゆる神社だ。原宿駅や代々木駅に近い便利な立地で、例年、初詣の参拝者数は全国一位を誇る。
それに対して、青山にある外苑はイチョウ並木を軸とした幾何学的な庭園で、スポーツ施設や聖徳記念絵画館がある。さながらヨーロッパの公園のようだ。何も知らずに訪れると、とても神社の一部だとは思えない。
内苑と外苑は、直線距離にして約2km離れている。表参道や青山通りを歩いて移動すると30〜40分程度かかるので、おそらくセットで訪れる人はめったにいないだろう。
なぜ、このような不思議な形式が採用されたのか。
実は、明治神宮の計画が持ち上がった際、伝統的・日本的な神社を求める人がいた一方で、近代国家の基礎を築いた明治天皇にはもっとモダンな施設がふさわしいと考える人もいた。最終的に、双方の意見を取り入れるかたちで、内苑・外苑から構成される明治神宮が出来上がったのだという。自国の伝統を重視しながら、西洋にも積極的に学ぼうとする。内苑と外苑には、そんな近代日本の時代精神が今も息づいているように思う。
ちなみに、明治神宮外苑になる前、青山の敷地は帝国陸軍の広大な練兵場だった。生前、明治天皇は度々この場所を訪れ、閲兵した。そして、天皇が崩御した際にはこの地で葬儀が行われた。実は、天皇が閲兵した場所(イチョウ並木東側の緑地の一画)には立派な榎、葬儀の際に天皇の柩が安置された葬場殿の跡地(聖徳記念絵画館の背後にある駐車場の一画)には楠が植えられており、今もひっそりとその記憶を伝えている。
外苑を散策する際には、是非これらの樹木もチェックしてほしい。
建築史家 長谷川 香

















































