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とっておいてから、捨てる。鳩サブレーの缶。写真と文:古賀及子 (エッセイスト) #2October 15, 2025
鳩サブレーの缶を資源ごみに捨てた。
つるっとして潔く、黄色い四角い缶だ。中央には大きく「鳩サブレー」と白く縁取られた赤い文字が書かれ、下にはお馴染みの鳩のイラストが入る。極まったデザインが美しい。
なにより、鳩サブレーの缶は、鳩サブレーがここにあったという事実の証明なのが素晴らしい。鳩サブレーは16枚入りから缶になる。6枚、8枚入りは紙の化粧箱だ。鳩サブレーの缶とは、たくさんの鳩サブレーがこの手にあったという事実そのものでもあるわけだ。

鳩サブレーはおいしい。おいしいことは十分知っているのに、いつ食べても記憶よりもほんのすこし、ちゃんとおいしさが上回って、驚かせてくれるから偉い。
捨てたのは、16枚入りの缶だった。縦が30センチほど、横も20センチほどあって、それなりに大きい。ある出版の催事に参加した際、鎌倉からいらしたお客さまが「ご家族でどうぞ」と差し入れてくださったものだった。
うちは私と高校生の息子、中学生の娘の3人暮らしで、3人ともお菓子が大好きである。
自由気ままにむさぼってしまえば、16枚など一瞬にして魔法のようになくなってしまうから、食べるのは1日に1枚ずつにしようと約束した。そうすれば5日は楽しめる。3人で5日間食べると最後に1枚残るが、そこは大人の私が譲歩して、6日目に2つに割って子どもたちで分けたらいい。
予定通り、鳩サブレーは6日でなくなったのだった。
さて、缶が残った。息子は「これを捨ててはいけないでしょう」と言う。たしかにそうだ。この6日間、缶は我々家族にとって豊かさと幸せの象徴だった。朝起きるとダイニングテーブルに黄色い缶があり、開けるとなんと鳩サブレーが入っている。夢のようだ。
もう中には何も入っていないとはいえ、捨てていいとは思えない。そこで、居間にある納戸に仕舞った。用があって納戸を開けるたびに黄色い缶が見えるのは、嬉しくもあった。

それから8か月。時間というのは経たせておくと本当に経つ。納戸の掃除をして、鳩サブレーの缶がただ“とってある”だけだと気づいた。家族で相談し、やや惜しむ声が上がったものの、資源ごみの日に出すことが決まった。
捨てる前に、ちょっととっておく。それで気が済むことがある。缶にも恩が伝わったといい。
エッセイスト 古賀 及子
