MOVIE 私の好きな、あの映画。
写真家・佐々木知子さんが語る今月の映画。『ワンダーウォール 劇場版』【極私的・偏愛映画論 vol.87】February 25, 2023
This Month Theme京都を感じる。
歴史や文化が凝縮する京都。ここは学生の街とも言われている。人口に対する学生数の割合の高さは全国一だ。大学が集積するエリアにはおいしく安く食べられるお店や銭湯がいくつもある。市内の南北にゆったりと鴨川が流れて、街中にいても大文字山が見える。ここで大学生活を送れたらそれは楽しいだろうなと思っていたが、かくいうわたしも昨年から京都の大学に籍をおく学生になった。わたしが在籍する大学のキャンパスの南の端っこにはイチョウ並木があり、その奥に木造二階建ての恐ろしく古い建物が佇んでいる。ここは築100年を超える日本最古の学生寮で、寮生たちの自治会によって運営されてきた。
この寮の現状をモチーフにした映画『ワンダーウォール 劇場版』(2020)は、老朽化した大学寮「近衛寮」の建て直しをめぐる寮生と大学当局との抗争・議論の様子が描かれる。京都で撮影された映像はわたしが見慣れた生活風景も多くあり、「四条河原町から百万遍行きのバスに乗り、東大路通を北上すると、だんだん人が減ってゆく。ひかりの数も減ってゆき、夜が夜らしくなる」須藤蓮演じるキューピーのモノローグとバスの窓越しに見える東大路通りの夜景がたまらなくて、開始2分にしてもうこの映画の「京都」に引き込まれていた。
近衛寮の高層建築への建て替えを主張する大学側と補修存続を訴え抗議する寮側との対話は、窓口となる学生課に登場した「壁」によって断絶される。寮生内部には、抗議活動に熱心な者と興味を喪失する者との温度差が生まれていく。寮の存続に熱心な寮生ばかりではない。大学の圧倒的な権力を前に無力感を抱く者、麻雀や酒盛りに夢中で問題そのものに興味がない者もいる。「やっぱ無理かもね」、「大学になんてさあ勝てっこないじゃん」、「もうやめたほうがいい気がしてる」という声や、熱心に抗議活動に参加してきた志村(岡山天音)の「学生を対等な相手と認めて合意を求めて話しあおうとする大人はもう大学にはいない。一方的な通告と壁と法的手段がこれからの大学のやり方なんだよ」という語りには、どんなに抗議活動を行っても組織の中枢にたどりつけず、末端の交渉を反復する彼らの消耗と寂寥が浮かび上がる。
それでも彼らの思いは近衛寮に向かう。その行動原理はある種の恋のようだ。即時的に近衛寮に魅了され、永遠を信じることはできなくて、でもあきらめられない。どうにもならない思いを抱えて自己問答を繰り返す。不安と怒り、葛藤の渦が広がり加速する中で偶然にもむかしの茶室の跡が発現する。若葉竜也演じるドレッド(その名の通りドレッドヘアの)が「はからずも暁の茶事だ」と呟きお茶を点て始める。かつてあった茶室の空間が茶会という具体的行為によって現前し、時間の奥行きにふれることを可能にする。この場所が、いま・ここと、100余年の中での寮生の営みをつなぎ、時間の連続性を喚起させる。近衛寮の消失がもたらすのは現在と未来の寮生の不在だけではない。この場に息づく、生の記憶の忘却だ。京都という歴史的都市の片隅で連綿と続いてきた、寮生たちの自治と生の記憶の歴史が、経営と権力にねじ伏せられ消えようとしている。大学は寮生を相手取り訴訟を起こした。寮の存廃問題も壁も依然として存在する。しかし本作は映画という枠を超え、SNSの「文通」や上映会を通じた制作陣と鑑賞者の対話を継続して行い、「大事なもの」について言葉を尽くして考える広がりを作ろうとしている。
暁の茶事の場面。抗議と交渉を先導してきた三船(中崎敏)が、干された洗濯物だらけの窓から夜明けの空を眺める。諦念と希望が入り混じる彼らを象徴するような、混沌とした部屋と、その向こうに見える美しい夜明けがわたしの胸を突く。