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ラトビア、古より伝わる暮らしと美しい手仕事を巡る旅へ。March 08, 2025
バルト海の西側、エストニアとリトアニアの間に挟まれる形で位置するラトビア。バルト三国と呼ばれる国の一つで、国土の半分を森が占める緑豊かな土地では、古来、アニミズム信仰から四季折々がもたらす自然の恩恵を大切にしながら暮らしてきた。また、生活の中には、編み物、刺繍、織物、陶器、木工など、代々受け継がれてきた手仕事が根付いている。一方で、旧ソ連をはじめ大国に翻弄された歴史があり、彼らにとって、伝統的な手仕事は、自分たちのアイデンティティを守るためのものでもあった。穏やかで優しい国民性から来るその温もりは、作る“もの”にも表れている。素朴で、美しい手仕事に触れる旅に出た。

ラトビアに息づく自然からの教え。手仕事に見出すアイデンティティ。
「ラトビアは自然信仰の国なんです」。現地のガイドからそう聞いたときに、この国は日本と親和性があるはずだと直感的に感じた。詳しく聞けば、ラトビアではあらゆる事象に神が宿るという考えを持ち、日本でいう「八百万の神」に似た信仰が「ラトビア神道」として国で正式に認められている。例えば、自然界にあるもの、海や森、動植物はもちろん、パンなど身近なものにも特別の力や精霊が宿っていると考えられている。
12〜13世紀、十字軍による侵攻により同時にキリスト教が広まったが自然信仰は消えることはなく、今では自身の宗教を持つ、持たないに関わらず、日常生活や習慣の中にアニミズムが根付いている。かねてよりライ麦を主食とする農耕民族のラトビア人は、季節を通して、狩猟や漁猟、果実採取といったやり方で豊かな食文化を形成してきた。食事の挨拶がない国もある中で、ラトビアでは「ディエヴス・ガウスィナ(御恵みを足らわせていただきます)」という言葉がある。日本語の「いただきます」に似た言葉だと聞けば、ぐっと親近感が湧くし、彼らの自然観が日本人と似ていることもわかる。
現在は平和で穏やかな国という印象のあるラトビアだが、一方で、その歴史は決して明るいものではない。長い間、忍耐を強いられた時代が続いた。中世まで遡れば帝政ロシア、ポーランド、リトアニア、スウェーデンなど多くの国がこの土地の覇権争いを繰り広げてきた。1918年にようやく建国が実現するが、その後すぐに帝政ロシア、ナチス・ドイツ、旧ソ連によって奪い合いが続く。独立回復は1991年。まだ34年前のことなのかとあまりにも最近の印象を受けるが、そんな過酷な歴史を微塵も感じさせないくらい街は活気に溢れ、人々は生き生きと暮らしている。それでも、やはり今はウクライナの状況に心を痛めている人は多い、とガイドは話す。「明日は我が身という気持ちもある。平和のありがたみを何よりも知っている人が多いから、毎日を大切に生きているんだと思います」
ヨーロッパ最古のミトンが発見されたというラトビアでは、ミトンをはじめとする手編みの編み物、リネンやウールの織物、柏や白樺から作られる木工品、刺繍や陶芸と、誇る手仕事はたくさんある。手工芸品はラトビアの魅力の一つでもあり、日本でも人気が高い。いわゆる世界的なデザイナーが活躍しているというよりは、広く民衆に根付いた手仕事である「民芸」が充実している。マーケットで店番をしている女性や喫茶店でお茶をする女性が編み棒を手に何やら編んでいる姿もちらほら見かけた。そんな光景もまたこの国ならでは。旧ソ連に占領されていた時代は、国旗を掲げることはおろか伝統的なミトンを編むことや、織物や刺繍なども検閲の対象とされたというから、独自の文化が抑圧される中でも絶やすことなく繋いできた手仕事は、自分たちのアイデンティティを守るためのものでもあったのだろう。
旧市街リーガで探す手工芸品と野外の博物館で体感する、かつての暮らし。
ラトビアの首都はリーガ。旧市街エリアは街全体がユネスコ世界遺産になっており、「バルト海の真珠」と呼ばれるほど美しい街並みが広がる。13世紀からドイツ人がバルト征服の拠点として要塞を築くなど、ハンザ同盟の港町として生まれた背景があり、石畳の通りにはロマネスクからバロック、アール・ヌーヴォーまでさまざまな建築様式が混ざり、まるで童話の世界にタイムスリップしたかのよう。この旧市街にラトビアの伝統的な民族衣装や手仕事に触れられる店がある。『SENĀ KLĒTS(セナー・クレーツ)』は1991年、独立回復の年にオープンした手工芸品を扱う店。店内にはラトビアの民族学に基づいた衣装やミトンや靴下、リネンのクロス、陶器などが所狭しと並ぶ。ミトンのタグには地方の名前が書かれていて、編み物の模様は土地によって少しずつ違うと店員が教えてくれる。形や装飾、色使い、込められた意味も含めて地域によって特色があるのがおもしろい。店内の一角には、ラトビアの45にわたる地域から集めた伝統的な民族衣装が一堂にディスプレイされており、小さいながら歴史資料館のような役割を果たしている。
ラトビアの伝統的な暮らしぶりに触れたければ、リーガ郊外にあるラトビア民族野外博物館がおすすめ。ラトビアにある4つの州、クルゼメ、ヴィゼメ、ゼムガレ、ラトガレといった全地区から、118の古い建築物が広大な森の中に集められている。年代も17世紀末から1930年代後半に建てられたという歴史的価値のあるものばかり。博物館の敷地面積は87.66ヘクタール。正直、数字を聞いてもピンとはこないが、すべてくまなく回れば3日はかかるというからその広さはかなりのものだ。
森の中に点在する建物の中では、実際に当時の暮らしが垣間見られるよう、家具や日用品など実際に使われていたものがそのまま展示されている。博物館が所蔵する伝統的な手工芸を見せてもらったり、イベントに参加したり。実際にプズリ(藁細工の飾り)を作る体験もできる。また、毎年6月の第一週末には、ラトビア全土から作り手が集まる民芸市が開催される。広大な敷地で存分に買い物ができると聞けばワクワクせずにはいられないだろう。
地方まで足を伸ばして、アルスンガ村に伝わる独特の文化に触れる。
ラトビアにある4つの州、とりわけ地方に行けば行くほど伝統色は強くなり、現代も受け継がれている文化に触れることができる。リーガから車で西に2時間半ほど走らせた場所にあるアルスンガという小さな村。ガイド曰く「ここはラトビアの中でもまったく違った文化が守られています。例えば、伝統的な祝いごと、習慣、口承、即興民謡、衣装、料理、話し方まですべて独特です」
ここアルスンガで知られるのが無形文化遺産に登録された文化的空間「スイティ」の、低音で掛け合いを行って即興演奏する女性たちの合唱団。カラフルな民族衣装を身にまとい、ブルドーン歌唱(メロディーを高い音程で歌いながら低音の「エーーーオー」を続けて歌う)をするのが有名とのこと。彼女たちが纏う民族衣装がとにかく素敵だ。刺繍したスタンドカラーのシャツに、濃いオレンジや濃いピンクのスカートを合わせて、文様が織り込まれた長いベルトをウエストに巻き、前立てに刺繍が施されたショート丈の上着を合わせる。その上には格子模様のストールを羽織り、「サクタ」と呼ばれる大きなブローチで固定する。頭飾りには女性の年齢に合わせて花冠やクラウン、スカーフなどを合わせる。年代に関係なく、カラフルな色合いを見事に着こなす女性たち。村にあるアルスンガ博物館には、その歴史や文化がわかりやすく解説されていて、織機のある工房や民族衣装の展示も見学できる。
アルスンガ村に訪れたのは日曜日。敬虔なカトリックが多いというこのエリアでは、日曜は特別な日となる。礼拝のために教会に行き、村で開催される小さな民芸市に足を運ぶのだ。雪がちらつく天気だったので、この日のマーケットはコミュニティセンターの中で開催されていた。地元の女性たちが作った手作りのミトンやショール、靴下、ジャムやハーブティーといったグロサリーが並ぶ。日本でもよくある地域のバザーのようなゆるい雰囲気。ブースを覗いていると手首を温める「マウチ」と呼ばれるリストウォーマーを発見。美しく繊細なビーズの刺繍が施されたマウチは、値段もリガの店で買うより半額ほどの値段。ブースにいる作り手の女性にラトビア語で話しかけられ、優しい笑顔に癒される。普段は出会うことのないような人たちと接点が持てるのもローカルのマーケットに足を運ぶ楽しみの一つだ。
ラトビア最南端にあるルツァワ村の伝統的なミトンと手仕事。
クルゼメ州最南端にある、ルツァワ村もまた独特の文化を色濃く残す地域。南はリトアニアにほど近く、特異な場所にある土地の手仕事は外国からの影響を受けることも多く、独自の進化を遂げた。花模様のスカーフなどは外国から入り、そのデザインが工芸品にも取り入れられたという。ルツァワ村の一角に、伝統的な暮らしや文化に触れることができる、ズワニーターイ伝承館がある。ここは昔ながらの伝統的な木造家屋をそのまま用いた博物館で、19 世紀後半の典型的な暮らしを体験できるというもの。
小さな博物館に到着すると民族衣装に身を包んだ女性が家の前で出迎えてくれた。まるで自宅にお邪魔するかのような気分で足を踏み入れると、壁いっぱいにルツァワの民族衣装、ミトン、靴下、生活用品が展示されている。この地の歴史を教えてくれるイネタさん曰く「ルツァワのミトンの歴史は長く、いちばん古いものは250年前にも遡ります。このローズの柄はルツァワ特有のもの」。伝統的に編まれてきたミトンは、冠婚葬祭の儀式のためであり、女性の嫁入り道具のためでもある。そして何より、家族のために編まれたものが多いと教えてくれた。
「編み物は主に女性の仕事で農閑期に作業します。ラトビアでは昔から大切な冬の仕事でした。また、これから結婚する女性にとっては、この手仕事の上手さ、器用さがアピールポイントでもあります」
ルツァワのミトンは鮮やかな色使いと袖口の模様が特徴。オレンジやレッド、ピンク、ブルーそこに黒や紺が取り入れられる。色の組み合わせのスタイルは、何世紀にもわたる染色技術によるもの。袖口の形は、フィット型、ストレート型、フレア型の3種類。伝統的にフィット型はいわゆるワークグローブとして仕事用に使われたもので、装飾の少ない手袋。ストレート型とフレア型には、それぞれ袖口にスカラップやピコット、フリンジといった飾りが施されている。
「私たちが作るものは長年にわたり、祖母や母親から家庭で教わってきたものばかり。編み方を見れば、現代でも伝統が続いていることがわかります。複雑なものであっても勉強し、手仕事に愛を注ぐというのも美徳の一つ。若い編み手たちにもそんな理念や姿勢と共に伝統を継承してくれることを願っています」
ラトビアの編み物は日常的な家仕事の一つという位置付けであり、その技術や文様などが、特別な技術が必要な職人でなく、家族で代々受け継がれているのが他の手仕事とは違うところでもある。繊細に構成された文様は独創的であり、単に伝統を繋いでいくだけでない、「創る喜び」もまた感じられた。細い糸を使ってぎゅぎゅっと編まれたハイゲージのミトンは、風を通しにくく指先まで暖かいという実用性もある。ラトビアの編み物を手にすると温かい気持ちになるのは、機械に頼らず、すべてが手作りであり、作り手の愛情が込められていることも大きい。素朴で温かい人柄がそのまま作るものに表れている。この国を旅すると穏やかな気持ちになるのは、そんな温もりのある手仕事とさまざまな土地で出合えるからなのだろう。
InformationTrip to Latvia
◾️Access
リガ旧市街
https://www.latvia.travel/en/sight/old-town-riga
リガ中央市場
https://www.latvia.travel/en/sight/riga-central-market
ラトビア民族野外博物館
https://www.latvia.travel/en/sight/latvian-ethnographic-open-air-museum
SENĀ KLĒTS(セナー・クレーツ)
https://www.senaklets.lv/
アルスンガ博物館(アルスンガ職人館内)
https://visitkuldiga.com/kulturvietas/meistaru-darbnicas/alsungas-amatu-maja/
The Ethnographic House “Zvanītāji”(ズワニーターイ伝承館)
https://liepaja.travel/en/see-and-do/ethnographic-house-zvanitaji/
photo & text:Chizuru Atsuta
cooperation:Latvia Travel https://www.latvia.travel/ja
Finnair https://www.finnair.com/jp-ja
参考文献:『ラトヴィアを知るための47章』(志摩園子編 明石書店) 『ラトビアの手編み靴下』(中田早苗編 誠文堂新光社) 『RUCAVAS CIMDU MANTOJUMS』(Compiled by Aija Jansone Rucavas cimdu mantojums. Heritage of Rucava mittens)