MOVIE 私の好きな、あの映画。
極私的・偏愛映画論『青いパパイヤの香り』選・文 / 三上純(〈JUN MIKAMI〉デザイナー) / May 27, 2021
This Month Themeキッチンに立つ幸せを感じる。
台所に差し込む光でキラキラと輝く食材の美しさ。
この映画が公開された当時10代だったわたしは、確か雑誌『オリーブ』の映画のページで『青いパパイヤの香り』を知ったのだったと思います。それから随分長い時間が経ちましたが今でも忘れられない作品です。
父親が亡くなり、家族を支える為に都会に働きに出た10歳のムイは、裕福な資産家の家庭の使用人として迎えられます。放浪癖のある主人とそんな夫に文句一つ言わず尽くす妻、3人の息子と姑の6人家族。彼らの身の回りの世話がムイの仕事です。
ムイの1日は主人一家の朝食の準備から始まります。
1950年代のベトナム特有の間取りなのでしょうか、一家が朝食を取るテラス風に設えられたダイニングは屋根が庭先までせり出しており、使用人達はそこで食事の準備を行います。包丁がまな板を叩くトントンという音や熱々の油の中へ野菜を放り込むジュッという音、庭に潜む鳥や虫の息づかい、朝の太陽に照らされてツヤツヤと輝く食材、料理を覚えようと先住使用人の女性の手元をじっと見つめるムイの瞳。親元を離れ、奉公先での新しい生活に懸命に慣れようとするムイの心の揺れと、画面に映し出される光や音が呼応します。
そして、とりわけ印象的なシーンがあります。ムイが包丁でパパイヤを割ります。中からあらわれたツヤツヤとした小さな白い粒をそっと指でつまみ上げて目の先へ持っていき、彼女はにっこりと微笑みます。これから調理する食材がいきいきと美しいこと、それはえも言われぬ多幸感を与えてくれることがあります。
我が家のキッチンは独立したL字型の小部屋になっており、よく陽の入る西向きの窓が1つ付いています。とても小さな窓ですが、天気のいい日であれば自然光のみで台所仕事をすることができます。
朝、この窓から入る日の光がちょうどガスコンロのある位置を照らします。例えば、お湯を沸かす時、沸騰したお湯が光を受けて鍋の中で気泡を弾けさせる様はとても美しく、その様子を眺めることは、どういう訳かわたしにとって鎮静作用があり、毎朝の小さな儀式となっています。
毎日のささやかな営みの中に自分を幸福にしてくれるものを見出す喜び。同じことの繰り返しのように思えても、昨今のような状況にあって、むしろ、それらを繰り返せることが尊いことかもしれないと改めて感じるのです。