MOVIE 私の好きな、あの映画。
極私的・偏愛映画論『タンポポ』選・文/齊藤輝彦(『アヒルストア』店主) / August 20, 2017
This Month Theme食の奥深さに胸を打たれる。
食に対する渇きを刺激するようなものとは。
2003年の夏、ひとりベトナムへと向かった。まるで学校の体育館のような、小さな空港に降り立つやいなや、怒号とともに100人くらいの客引きに囲まれる。その瞬間のぼくは、まるでスターだった。「アジアに来たんだ!!」という衝撃が身体を走り、五感が研ぎ澄まされていくのを感じた。街はバイクだらけで皆ノーヘル、家族4人乗りは当たり前。現在の経済発展したホーチミンとは違い、まだ少し戦後の香りが残っていた。
ベンダイン市場の肉売り場は凄かった。タイルの上に肉が常温で山積みになっていて、そこら中をせわしなく蠅が飛び回っている。隣の食堂ではジュウジュウと肉や臓物が焼かれ、一体に立ち込める匂いと煙で視界が遮られる。「うわっ!食べたいっ」と、身体が反応した。下を見れば、野菜クズとともに床で寝ている浮浪者もいたりと、人によってはまいってしまいそうな光景。だがぼくはこのとき、店をやるにあたっての大切なことが、すべて解ったような気にさえなった。ひとことで言うならば「欲望」のようなものだろうか。飲食店の店づくりとは、食に対する渇きを刺激するようなものでなければならない、と考えるに至った。それは今日でも変わることはない。
伊丹十三監督の『タンポポ』は、食の本質を描ききった類い稀な映画だと思う。本編は、客の来ないラーメン屋が、仲間の助けと店主の努力の甲斐もあり繁盛店になっていく、という単純な話である。しかしそれは、映画を成功させるためのエンタメとしての軸であり、本来のテーマはそこではない。この縦軸に、本編とは無関係のサイドストーリーが次々と差し込まれる。この横軸は、人間がいくら知性を積んでも最後には抗えない欲望としての食を、生々しく且つユーモラスに描いたもので、このザッピングこそがこの作品の真のテーマと言っていいだろう。その中でも官能的なシーンとして、白服の男の話が度々でてくるが、これは「食欲と性欲は近しい」ということを言っている。個人的には、牡蠣をとる海女の少女との美しい映像が好きで、これは食のエロスを最大限に表現した名シーンだと思う。食の本質とは、つまりは欲望なのだ。