MOVIE 私の好きな、あの映画。
『スモーク』選・文/松村純也(〈旅ベーグル〉店主) / April 20, 2016
This Month Theme店主のこだわりが気になる。
松村純也(〈旅ベーグル〉店主)
休むことなく撮り続けた写真から浮かぶ上がるもの。
ブルックリンのとある街角にあるタバコ屋で雇われ店主をしているオーギー・レンの日課は、毎朝8時ちょうどに店前の3丁目と7番街の角の風景を35mmレンズのカメラで撮り、アルバムに整理して記録していくことである。1977年から1990年まで、彼が1日も休むことなく撮り続けた写真は4,000枚以上。この行為はもはやオーギーにとってはライフワークともいえるため「俺はおちおち休みも取れないんだよ」と毒づくのだけど、そう言う彼の言葉は静かなプライドのようなものに満ちていて、この映画を見るたびに僕はこのシーンでニヤニヤしてしまう。そして、大都会の借り暮らしの中に自分の居場所を見つけた彼を羨ましいな、と感じてしまう。無作為に撮り続けたオーギーの写真は、失意の中にいた彼の友人・ポールをも救う力を持っていた。「とある日の、午前8時の写真」が画面に映し出されるカットは静かで、ただただ美しい。そこにはもう戻れない当たり前の日常が写っていた。ポールは嗚咽しながら何を思い出していたのだろうか? 観るたびに僕は考え、胸がいっぱいになる。
この映画ではチャプターのタイトルに主要な登場人物の名前が付けられ、その人物を中心に物語は進んでいく。どの小話も小粋で、良くも悪くもニューヨーク的で人間味あふれる人々がテンポよく登場する。そしてそんな登場人物たちがチャプターをまたいで密接に繋がっていく様はまさに脚本を書いたポール・オースターの真骨頂。そしてラストに、オーギーがカメラを入手するまでの物語を描いた「オーギー・レンのクリスマスストーリー」は、その季節が来たらふっと思い出してしまう、大切なクリスマスの小話である。こうして温かい気持ちで映画を観終えた僕は、勝手にオーギーのタバコ屋の常連になった気分で、街角に立っている自分を想像する。いつかオーギーの撮る写真に写り込みたいなという願望とともに。僕はタバコを吸わないし、そもそもニューヨークに行ったことすらないのだけど。
ところで僕は2016年の2月、東京から香川に移住してお店も移したのだけど、新店舗は大工さんに頼んで大きな正方形の窓を拵えてもらった。厨房から窓越しに見える風景は田んぼと農道と、そこを時々歩く人々だけ。でも、毎日毎日眺めているとそこにはささやかだけど確かな変化があることに気づく。田んぼの土の色、登校する子供たちの服装、風向きや鳴く鳥の種類。日々何かしら違うから楽しくて、お店に来る日はiPhoneで窓越しに正方形の写真を撮ることが日課になっている。そしてそれらを見返しては色々と思い出している。叶うならばオーギーに僕の記録を見てもらいたいものだ。彼がポールに見せたようにゆっくり、ゆっくり一枚づつ。