MOVIE 私の好きな、あの映画。
極私的・偏愛映画論『ペレ』選・文/小林和人(〈Roundabout〉オーナー) / February 20, 2017
This Month Theme丁寧な暮らしぶりが描かれている。
小林和人(〈Roundabout〉オーナー)
ギリギリの過酷な状況下で見えてくる丁寧な暮らしとは。
近頃よく目にする「丁寧な暮らし」という表現。この言葉に触れるたび、我が身を振り返っては反省することしきりである。
たとえば幸田文の随筆に貫かれた“眼差しと実践”であったり、あるいは最近上映されたドキュメンタリー映画『人生フルーツ』の津端夫妻による実感のこもった一つ一つの営みを日々重ねていく姿は、滔々と流れる紛うことなき「丁寧な暮らし」の本流といえよう。
だが、様々な事情により生活が壊れ、過酷さの濁流に暮らしが飲まれた時、それでも人は丁寧に生きられるのであろうか。ビレ・アウグスト監督による映画『ペレ』は、1850年代後半、スウェーデンから新天地を求めてデンマークのボーンホルム島に渡った年老いた父親ラッセと、その息子ペレの物語である。
希望とともに船から降りた親子を待ち受けていたのは、冷たく厳しい現実であった。老人と子供は働き手と見なされず、誰ひとりとして雇おうとしない。そんな状況で、辛くもありついた仕事は田舎の農場の牛の世話係。寝床は牛舎の片隅という劣悪な環境のなか、朝から晩まで働いて二人分の給料は年100クローネという低賃金である。そんな最底辺の暮らしの或る日、ペレは誕生日を迎える。とはいえ、レーズン入りのローストポークも、ましてや生クリームがたっぷり塗られたケーキも、残酷なまでに何も無い。それでもラッセは、牛から拝借した搾りたての乳と、祖国から持ち込んで農園の外に植えた野イチゴで息子の誕生日を祝う。どん底の生活には数少ない仲間もいた。クリスマスの夜にサプライズでアコーディオンを演奏し、皆の心に慰めを与えてくれるエリック、これから旅立とうとする親しい仲間に対し、大事にしていたに違いないキルトをなけなしの餞別として手渡そうとするカルナなど。自らも辛うじて立っているというギリギリの状況に居るにも関わらず、そこでの手間やユーモア、そして自己犠牲を厭わない態度、それもまた「丁寧さ」のひとつの姿ではないだろうか。
彼らと対照的なのは、父子の雇い主である牧場主をはじめとした裕福な者たちに共通する、ある種の「粗雑さ」である。彼らの立派な邸宅の中は見事に片付き、身なりもきちんと整っており、一見すると彼らこそが「丁寧な暮らし」を体現しているかの様である。しかしながら、彼らのその振る舞いを見ていくと、「洗練」と「丁寧」は必ずしも同義語ではないという事に気付かされる。
少し話は逸れるが、数年程前に観た忘れられない展覧会がある。東京藝術大学大学美術館で開催された「尊厳の芸術」展である。太平洋戦争とほぼ同時期に、強制収容所にいる事を余儀なくされていた日系アメリカ人達が、収容所で制作していた美術・工芸作品を展示する内容であった。道具や素材も不自由な環境のなかで、恐らくは日々の暮らしの痛みを少しでも和らげたいという動機で作られたであろうひとつひとつの作品に、強烈に心を揺さぶられた。と同時に、人は「良く生きる」という命題が本来的に備わっている生き物なのだという事を確信した。
映画のなかでラッセは、頼りになる賢い父親というより、どちらかといえば甘さや打算的な側面も見え隠れする人物として描かれている。それでも一方で、貧しく過酷な状況下でも何とか「尊厳」を保とうとするせめぎ合いそのものが人間らしさではないかと思うと共に、その葛藤の連続の軌跡こそ、ある意味でなけなしの「丁寧な暮らし」であると言えなくはないだろうか。