MOVIE 私の好きな、あの映画。
極私的・偏愛映画論『パッチギ!』選・文/西谷真理子(編集者) / June 22, 2018
This Month Themeふだんの京都を感じる。
京都に流れる分断の川。
子どもの頃京都に延べ8年少し住み、14歳からはずっと東京の住人である私だが、両親ともに京都の出身ではなく、父の仕事で住んでいたというだけなのに、なぜか京都が懐かしい。勝手にふるさとのような気がしている。それは多分、その時期に両親と一緒に過ごした思い出が集中しているからだろう。父と裏山に登ってつくしやわらびを採ったり、昆虫採集をしたこと。母が「自由学園」の友の会で習いたての、鍋で作るケーキを作ってくれたことなど昨日のことのように覚えている。父の転勤で東京に移る前に住んだのは、左京区鹿ケ谷で、岡崎中学という公立中学に入学式から2年の1学期まで通った。この学校は、沢田研二が卒業したらしいが、私が1年の時、上級生が、銀閣寺の朝鮮学校に殴り込みをかけて、それが新聞記事になった。おっとりした転校生の私には事情が全くわからなかった。学校の裏手には被差別部落があり、そこの子どもたちは特別視されていて、彼らと付き合わないようにと私に注進してくれる学友もいたが、どこが違うのか、私にはそれもわからなかった。近所には朝鮮人(当時は韓国人とは言わなかった)が住んでいるエリアもあり、お宅にお邪魔してごちそうしてもらったこともある。クラスには、実に様々な階層の生徒がいて、有名な時代劇俳優の孫の家はやたらに塀が長かったが、仲良くなっても家に呼んではくれなかった。
この映画『パッチギ!』を観て、思い出したのはこの事件だ。1960年代の京都では、こういう暴力事件は日常茶飯事だったのだろうか。
2013年から2018年まで、「京都精華大学」の特任教員として、毎週授業のために東京から京都に通っていた私は、最初は、錦市場の至近距離に部屋を借り、子どもの頃の憧れだった「ニシキ」を存分に味わってから、ひょんな縁で、南区東九条の一軒家を仮住まいにした。そこはまさに「パッチギ!」の世界で、今や柄の悪さは全くなかったけれど、時間が止まったような街には、焼肉やお好み焼きの看板は並んでいるが、おしゃれなカフェやパン屋は一つもなかった。
前置きが長くなってしまったけれど、このとても激しく、切なく、おもしろい映画の原作が、マガジンハウスではおなじみの松山猛さんの『少年Mのイムジン河』だというのも興味深い(詳しくはネットで調べてください)。そう、この映画を「ふだんの京都を感じる映画」に選んだのは、京都は歴史のある古い町だけに、様々な差別が忘れられることなく、くすぶっているから。それは「パッチギ!」のような在日韓国人の差別があれば、部落民の差別があり、『イケズの構造』を書いた井上章一さんがいうような町中と洛外の差別もある。京都の人がストレートな物言いをしないのは、それは、各所への気配りだと思える。知っているけど知らないことにしましょう。あるいは痛みに触れないでということかもしれない。
映画の中で、主人公の松山青年と友人が、九条大橋に立って、鴨川をイムジン河に例えるシーンは象徴的だ。無茶な松山くんは、川を泳いで、キョンジャのもとに行くけど、それは、ハッピーエンドになるわけではなかったのだから。
オダギリジョーや真木よう子、余貴美子など助演陣がすばらしいのも見どころ。