MOVIE 私の好きな、あの映画。
極私的・偏愛映画論『バグダッド・カフェ』選・文 / キッタユウコ( 「kitta」主宰) / March 25, 2020
This Month Themeスタイルと生き方に憧れる。
ルーツやアイデンティティが垣間見える、その人らしいスタイル。
10代の頃から「好きな映画は?」と聞かれると『バグダッド・カフェ』と答えてきた。10年前に千葉県から沖縄本島の北の端へ移住してからというもの、「どんなところに住んでいるの?」と聞かれるたび『バグダッド・カフェ』みたいな感じのところ」と答えていた。震災をきっかけに持ち物の多くを手放して移住した私にとって何かを失って辿り着いた遠い場所。と言うイメージがこの映画と重なっているのかもしれない。
この映画の印象を言葉にするならば、まず最初に「遠い」という言葉が思い浮かぶ。それはただ距離的なことに限らず、感覚や意識としての「遠さ」だ。「果て」でもあり、同時に「果てしない」とも言えるような矛盾を孕んだ遠さ。そしてもうひとつは「デジャヴ」。私自身がいつか見た夢のような、今現在誰かが見ている夢のような、すでに知っている未来の最中にいるような不思議な感覚だ。それらの印象は映像だけではなくジェヴェッタ・スティールが歌う主題歌の「Calling You」から受けるものも大きい。日々の選択や意思の結晶として目の前に現れる事柄を俯瞰した時に感じる、自分の意思や希望とはまた別の次元に存在する抗いようのないもの。過去・現在・未来 という直線的な時間では括ることのできない運命の呼ぶ声がこの映画からは聞こえてくる。幼い頃から自身の特性、過敏とも言える視覚の優位性に気付いていた私にとって、色というのは人生を導く道標のようなものだった。そんな私にこの映画の色彩や映像はたまらなく心地よく響いた。砂漠地帯の太陽の光が抜けるような空の青、乾いた土の色、建物や人の姿といった風景の全ては時に淡く、時に鮮やかに染められてゆく。
登場人物の装いも印象的だ。黒人の若者たちのヴィヴィッドな色使いや主人公のヤスミンの部屋に吊り下げられたアンティークの衣装たち、ネイティブアメリカンの若者の三つ編みヘア、モーテルの女主人のブレンダのショートドレッド。彼らの髪型や服装にはそれぞれのルーツとアイデンティティが垣間見える。ファッションの流行を追いかける、という行為に違和感を感じていた私は、彼らの「ファッション」と言う枠ではくくれない自由なスタイルに憧れた。流行のスタイル、ではなくその人らしいスタイルが私の中のおしゃれの指標になった。
映画の中で繰り広げられるのは誰かと誰かが別れ、出会い、受け入れあい、愛し合ってゆくというどこにでもあるようなストーリーなのだが、映像や音楽とともに穏やかに展開されるその世界を眺めるたび、「人生ってこうあればいいな」と、今でも私は胸がいっぱいになってしまう。 世界を彩る光のマジックと、ヤスミンが携えた人の心を幸せにしてしまうマジックに人が辿り着ける最果ての幸福を夢見てしまうのかもしれない。ヤスミンが画家のコックスに尋ねる。「あなたの描く空の光はどこから?」 コックスは答える。「太陽の光が反射するのさ。宇宙エネルギーの何万という鏡がね」 。映像の中には度々啓示のようにビジョンがやってくるシーンが挟み込まれている。そのビジョンは私のものでもあり、そして誰かのものでもあるのだろうと想像する。