Lifestyle

LOOKING AHEAD山口 周さんの考える、これからの住まいと暮らしの在り方。August 12, 2022

都会に住んで働く"スタイル"を脱ぎ捨て、神奈川県葉山町での暮らしを選択。
家づくりや家事は人生における一番のクリエイションだと語る著作家の山口周さんに、
自身の経験と、自由度が増したこの時代の「住まい」について伺いました。
2022年7月発売の特集「住まいのカタチと、暮らし方」より。

ダイヤルを回して電波を拾う古いラジオを使う。「人も同じ。心地よさを求め、チューニングすることが大切」と語る山口さんらしい選択。
ダイヤルを回して電波を拾う古いラジオを使う。「人も同じ。心地よさを求め、チューニングすることが大切」と語る山口さんらしい選択。
素足で寛ぐリビングは「狭めにしてほしい」とオーダーしたという。「僕にとってはそのほうがコージーで、家族の親密性が高まると感じます」
素足で寛ぐリビングは「狭めにしてほしい」とオーダーしたという。「僕にとってはそのほうがコージーで、家族の親密性が高まると感じます」

山口 周 Shu Yamaguchi

電通、外資系コンサルティング会社を経て、著作家、独立研究者、パブリックスピーカー、ラジオナビゲーター。哲学や美術史、アートに精通し、「美意識」と「暮らし、生き方」に触れる講演や著書も多数。音声プラットフォーム「Voicy」での配信も開始した。

“幸福感受性”を豊かに、体が喜ぶ場所を探す。

 結婚後、都内で数度の引っ越しを経て、今は海を眼前に、山を背負ってという環境で暮らしています。家にいながらこなせる仕事も増えましたし、“現役時代”と比べ、今後はますます家時間が長くなっていくでしょうから、とみに家や暮らしについて考えることが多くなりました。
 先日こんなことがありました。仕事で東京に宿泊せざるを得なくなってしまって。珍しいことではありません。ただ新緑の季節に入ったばかりだったせいでしょうか。僕の嗅覚はとても敏感になっていたようで、翌日、家に戻ろうと逗葉新道のトンネルを抜けた料金所付近で、気づいたんです。「このあたりはなんていいにおいがするんだろう」と。特にこの時季、葉山はむせ返るほどの甘い緑のにおいでいっぱいです。それが本当に気持ちよくて。「健康にいい!」と何度も深く吸いこみました。
 思い返してみると、都会にしては緑が豊かにあるエリアで暮らしてきました。小学生の頃は、洗足池(東京都大田区)に寄り道してザリガニやクチボソ釣りをするのが登校前のルーティン。そんな原風景が影響しているのかはわかりませんが、今の家に至る前に住んだ世田谷の3軒も、やはり緑あふれる住環境でした。大きな公園に埋もれるようにして立つ家。高台の正面に美術館があって、遠くに山の稜線を望める家。窓の向こうに森が広がりカーテンを閉める必要のない家。子どもの誕生など、ライフステージの変化で順に引っ越しはしましたけれど、どれもいい家で。ちょっとかっこよすぎるくらいに洗練されていました。イタリア製の大きなソファが似合う、広いリビングも備わっていましたしね。
 それなのに、いえそれだから、3軒目に住むあたりから、心の不調に悩むようになってしまったんです。
 そのワケを自覚するきっかけをくれたのは、古道具店にあるような古い薬瓶でした。本当の僕はああいったものに小さな花を挿して、さりげなく飾るのが好きなのに、それが全く似合いません。どこかで他人のまなざしや価値基準を意識して、記号的な家を選んでいたのでしょうか。3軒とも“僕らしさ”には到底ハマらないカタチをしていたのです。
 オランダの哲学者スピノザによれば、人は誰もが本質に戻ろうとする力=コナトゥスを持っているそうです。握りしめていたゴム毬をパッと放したとき、そのゴムが元の丸に戻ろうとするような力といったらわかりやすいでしょうか。対義語にエートス=形質があり、スペックとほぼ同義。僕のケースでは、洒落たマンション、有名な会社、職業、高級車に高収入といったものがそれにあたるのですが、あのとき、コナトゥスを回復させるため、エートス的なものを全部手放したくなりました。それでこれまでとは全く異なる場所に全然違うカタチの家を建てたのです。
 葉山周辺は、“Tシャツに短パンにビーサン”みたいなラフな装いを「フォーマルだ」と言ってまかり通るエリアです。家から海まで水着で出かけてしまうことを思うと、「それに比べればちゃんとしているだろう」という主張が受け入れられる文化があります。他人同士でも道で会えば挨拶をし合います。それがふつうです。他にも僕たち家族の家が立つ私道では、一軒がテーブルを外に持ち出し、バーベキューを始めたら、他の数軒からもつまみを手に人が集まってくるのがふつう。ほぼ直感で引っ越してきましたが、どこかで予見しつつ、住んでみて「やっぱりいいなあこういうの」と腑に落ちた“ふつう”がたくさんあります。
 そんな場所に建てたのですから、僕が住むのも木でできたふつうの家。家族同士が仲良く暮らせるよう、LDKは小さめです。裸足で過ごすのが気持ちよく、古い家具、本にアート、ピアノ、海で拾った小石、子どものものを少々乱雑に並べてもけっこうカタチになって見えるので、頑張りすぎずに暮らしています。皆が何となく繋がっていられるような動線にはこだわったけれど、何々テイストと呼べるほどの家でもないかな。でもとっても寛容です。この先、子どもたちの成長に応じて、あるいは趣味が変わったとき、必要なものや並べたいもの、置き方が変わっても、おおらかに受け入れてくれ、僕たちらしい雰囲気はつくれそうです。
 つくづく家づくりとはオペラのようなものだと思います。オペラは戯曲(脚本)、音楽、衣装、演技、書割(大道具)などで構成されますが、これらはどれも家に揃っています。つまり自分が思い描く脚本のもと、何をどんなふうに並べるかを吟味すれば、人生はオペラのように美しくなるという発想です。ヨーロッパでは「家は一生かけてつくりあげる芸術品である」という価値観が定着していますから、それに倣いたい。日本では家はとかく「新しさ」や「便利さ」、「転売するときの評価」などで語られがちです。けれどもそれらは時間がすぎれば価値を失うもの。「家づくりとはクリエイティブなものだ」という意識を持てたら、人も世の中もみずみずしくなっていくのではないでしょうか。
「通勤時間45分圏内」といった条件にとらわれる必要性がなくなったという人も多い時代。住み方も暮らし方も自由になりつつありますから、その自由を生かせる人と生かせない人とでは、今後差が開いていくことになります。大切になるのは、どんな人生を送りたいのか、どんな家に住めば自分らしくいられるのかということを感じ取る、“幸福感受性”。気持ちよさ、心地よさは外から教わることはできません。他人の価値観に則っても意味がない。人それぞれであり、自分や家族にしかわかり得ないからです。僕の場合、そのカギになるのがにおいや“ビーサン”などなわけですけれど、結局はすべて「健康にいい!」という感覚に繋がっています。しかるべき場所に身を置き、しかるべきものに囲まれれば、体は反応し、喜んでいる感じを得られるはず。頭で考える「主体性」に拠るのではなく、「身体的な感覚」に忠実でさえいれば、きっと理想のカタチは見つかります。
 体を楽器として鳴らすイメージを持って。美しい音を奏でるため、“Stay tuned in”(チューニングが整った状態)で、居続けましょう。

どこにいても光を感じられる構造。「光や、風も暮らしになくてはなりません」
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本も音楽もアートも家具も、触れ続ける"芸術"が「身を耕す」と山口さん。
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家族の拠り所であるLDKに並ぶのは使うたびに味わいが増す木製の家具。
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三角屋根の上には建築家に頼み込んで作ってもらった”潮見台”が載っている。
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photo : Kazumasa Harada edit & text : Koba.A

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