MOVIE 私の好きな、あの映画。
『ラブ&マーシー 終わらないメロディー』選・文/ほしよりこ(漫画家) / February 20, 2016
This Month Theme映画に人生を教わる。
ほしよりこ(漫画家)
強く心を揺さぶられるブライアン・ウィルソンの音楽。
何度繰り返し聴いても、新しい気付きをもらえ、時には励まされ、心を鎮めてくれる一曲というのがあります。私にとって、そういう曲が凝縮されている一枚のアルバムが、ビーチボーイズの「ペットサウンズ」。10代のころから、聴き続けて今もまだ傍らにあるこのアルバムです。
「ラブ&マーシー」の白眉はなんといってもスタジオ録音風景でしょう。
「God only knows(神のみぞ知る)」の冒頭の伸びやかなフレンチホルンの響き。スタジオに犬を連れ込んで鳴き声を入れたり、列車の音を重ねたり。「You still believe in me(僕を信じて)」の始まり、チェンバロのようなピアノの響きは、ピアノ線の上にヘアピンを散らせ、ピアノ線をヘアピンではじきながら生み出されている。この曲の中で感じるある種類の荘厳さが、曲の終わりの方でドラムの音の隙間に聴こえる「プップー」という子どものラッパのような音により、なにか愉快な気分に導かれます。「ペットサウンズ」というアルバムの中にある、荘厳さの底に流れる愉快さ。それは、どんな最悪な状況にあっても自分の中にわずかに残されているお愉しみの小さな引出しをひょいと引っ張ってくれます。
ブライアン・ウイルソンは音楽の神様に選ばれた天才です。彼の父はブライアンに音楽を教え、バンドを成功させるけれど、神は父ではなく、息子の方に多大な才能を与えました。そしてそのことを誰よりも感じていたのは父親の方でしょう。父は嫉妬心からブライアンをいじめ続けます。彼は音楽を作り続け、スターとなっても父に徹底的に否定され、父の後には薬と、彼を束縛し管理する悪意の中に身を置きます。映画は、それからブライアンが愛する人の献身的な愛情によって復活するさまとペットサウンズができるまでが、時代を交互にして描かれています。
この物語を、トラウマを持った天才が孤独に悩み、薬と支配者の元で苦しみ、そして愛によって救われる、という読み方もできる。でも私は、西海岸の陽気な若者たちの恋愛と青春を歌い、人気バンドとなったビーチボーイズが、支持されたそのスタイルから距離を置き、新しい挑戦をしたことに、強くゆさぶられるのです。「ペットサウンズ」は結局、当時ヒットせず、売れないがために失敗作だと言われました。けれども、このアルバムは間違いなく、ブライアン・ウィルソンの当時の最善、いや、それ以上を求め、確信して作った傑作で、人々が待っている「従来の彼らの感じ」を良しとしなかった、誠実さだと思います。だからこそこのアルバムは奥行きを持ち、時代を経ても、人々に届き、胸を打ち、影響を与えることができるのでしょう。表現した物を世の中に送り出し、報酬を得る仕事をしているならば、このようでありたい、ともすると楽なことをして安心しようとする私にとって、この映画が教えてくれるものはあまりにも大きく、見終わった後に心の奥に希望の光がともるのでした。