LIFESTYLE ベターライフな暮らしのこと。
大人になったら、こう住まう。
建築デザイナー井手しのぶさんがたどり着いた7 軒目の住まい。October 16, 2022
2022年9月20日発売の『&Premium』の特集は「大人になったら選びたいもの、こと」。服選びやもの選びを通して、理想の素敵な大人について考えました。そして、さまざまな経験を積み重ねていくなかで誰もが考えるのは、大人に似合う家のこと。どうやって選んだらいい? 暮らしに必要なこと、大切にしたいことの変化は? ここでは、建築デザイナー井手しのぶさんの住まいを紹介。およそ30年の間に暮らした住まいは7軒。自分で建てた家はそのうち6つ。「家と車は、大根を買うより簡単に買う」と笑う井手さんが現在の家に至るまで、その変遷を伺いました。
人生の節目に合わせて、その時々に寄り添う家を。
家は一生ものの買い物といわれるが、もし住みにくかったり、合わなかったりしたら? これまで7軒の家を購入し、住み替えてきた建築デザイナーの井手しのぶさんに言わせれば「住みたい家はその時々で変わるもの」。だから、「まずは手に入れて、違うと思ったら直すか売ればい
い。その代わり付加価値をつけてあげること。家は古くなる一方だけど、きちんとメンテナンスしていれば欲しいという人が出てくるから」。
それが30年近く、公私ともに家について考えてきた井手さんの答えだ。6年前、仕事をほぼ引退し、子どもも独立したなか、7軒目となる家を建てた。鎌倉の丘に立つ平屋は、片流れ屋根に大きな青い扉が目を引く。犬1匹、猫2匹との生活で暮らしを小さくすることが目的だた。
井手さんが初めて家を購入したのは今から36年前、25歳のとき。
「ちょうど子どもが生まれるタイミングで。母は家賃を払うことが無駄だと考えるタイプの人だったので、頭金を貸してあげるから家を買いなさいと。でも選んだ建て売りの新古住宅は、全然趣味じゃなかった」と笑う。好きになれない家で暮らすのは辛い。3年ほどいたものの引っ越しを考えた。時はバブル真っ只中。
「住んでいる家に良い値がつくことがわかり、次の家を考え始めました。そこで見つけたのが、建築条件付きの土地30坪という物件」
土地自体は広くはないのと、指定された業者との建築契約が決まっていたが、ある程度は自分の好きなように建てられるならと決めた。ところが5年近く住んだ頃、息子が通学時に事故に遭い、幸い怪我はなかったものの、先々を考えて学校近くの鵠沼エリアで家を探すことにした。同じ頃、飼い犬に異変が生じる。
「リンパ腫だったんです。そのとき思ったのが、もしかしたら当時の新建材に使われていた化学物質の影響があるのかもしれないと。いまだにそれが原因かはわからないけれど、私は悔いて、次の家では建材に配慮した家を作ろうと心に誓いました」
3軒目となる鵠沼の家は、理想の家を作るためにも、ゼロから井手さんがデザイン。その後の家づくりの原型となった。なるべく自然素材のものを用いて、リビングの壁は漆喰に、床はパイン材を取り入れ「土に還る材」を意識した。この家が近所で話題となり、もともとガーデンデザインをしていた井手さんは建築デザイナーとしてのキャリアをスタートする。
’96年に「パパスホーム」を設立。自然素材を使うことをポリシーにしたところ、当時はそういった工務店が近隣になかったため、各所から依頼が舞い込んだ。
寝る間も惜しんで働き詰めの日々がしばらく続く。鵠沼の家は、住まいとオフィスが一緒だったこともあり、気が休まらず、ストレスは溜まる一方。自然に囲まれた別荘が欲しいと思い始めたとき、箱根の仙石原に300坪の土地を見つけた。木造2階建ての別荘を、贅沢に、存分に手間ひまかけて作ったが、いざ通うとなると管理が大変だと思い知った。
「休むために来ているのに、結局ごはんを作ったり、布団を干したりと家事をしなきゃならない。すぐに雑草だらけになるから庭の手入れも大変で。私は温泉に入りたいだけなのにって逆にストレスになって(笑)。ちょうどその頃離婚を決めたこともあって別荘は手放すことにしました」
家族の形が変わった’04年、鎌倉山にある一軒家と出合う。35坪の土地に築40年ほどの木造2階建ての古家付き物件。洋館のような佇まいに惹かれた。このエリアは桜の名所として知られる場所でもある。かねて緑の多い環境でゆったりとカフェをやりたいと思っていた井手さんは、この物件を見たときに急に思い立つ。さっそく店仕様にと、中をスケルトンにして、床にはテラコッタを張り、2階は壁や天井を取り払い、梁や柱を白くペイントして抜けのある空間に。古材のフローリングを使い、一部吹き抜けにして螺旋階段で1階と繋ぐなど自由に改築していった。
「カフェを始めてみたら経営は赤字続きで2年で閉店。でも、せっかく手を入れたこの家をなんとかしたいと思い、当時住んでいた鵠沼の家をオフィスだけにして、私がここに住むことに。息子は成人したら独立させて、離れたいと思っていたので、ちょうどいいタイミングでした」
鎌倉山の家は、再び住居用にリノベーション。改築に楽しさを見いだすと、もはや趣味のようになってしまい、その後も何度も手を入れた。
「20年以上前ですから、家は〝新築〞が基本。賃貸、建て売り、土地を買って家を建てるという選択肢しかほぼなかった時代、古い家を好みの空間にするのは自分には合っていたし、可能性を感じました。実際、土地だけより古家が付いているほうがイメージしやすい。柱があればゼロから作るよりもコストを抑えられるから改築に予算を注げる。家が古ければ土地代だけで購入できることもある。リーズナブルに理想の家を手に入れたいと考えるならば、個人的にはリノベーション前提の古家付きがおすすめです」
愛着も思い入れもあった鎌倉山の家。「終の住み処」となるかと思いきや、しかし、井手さんの好奇心はとどまるところを知らなかった。今度は葉山で海を目の前にした理想的な物件に出合ってしまったのだ。
「人生で一度は海の近くに住んでみたかった。前を通りかかったらたまたま売り出し中で、これは運命だと」
すぐに鎌倉山の家を手放し、買い手がついたので葉山へ引っ越し。けれども失ってみて気づいたのは山の近くに住むことの素晴らしさだった
「海辺に住んでみてわかったのは、私は山のほうが好きだということ。朝起きて目の前が海という環境は最高に良かったけど、塩害で大切に育てていた植物も枯れがち。家のメンテナンスも体力的に大変でした」
6軒目の葉山の家は外国の邸宅のような佇まいに絶好のロケーションが相まって、すぐに買い手がついた。井手さんは52歳でセミリタイア。そうして7軒目に建てたのが、冒頭の鎌倉の平屋だ。土地はネットで見つけ、ほぼ自分で設計、デザインした。
「90歳くらいまで生きていく計算でひとりでも安心して暮らせる家。場所は、熱海や長野もいいなと思ったけれど、老後を考えると家族や友人が近くにいるほうがいい。ちょうど鎌倉でいい土地が見つかって。ただ雑草が生い茂っていたので、まずはかなりハードな整地からでした」
友人に手伝ってもらいながら竹やぶを開墾、土を運び入れ、1年がかりで土台づくり。それが終わると家の設計へ。さまざまな家に暮らした経験を生かし、井手さんが目指したのは、自然と一体化した「地面から生えているような家」。一人暮らしなので間取りは1LDK。とにかくお金をかけずにどうやって自分の居心地の良いものを建てるかがテーマとなった。年を重ねると、どんどん余計なものは削ぎ落とされて、シンプルな空間だけでいいとなる。
「第一に考えたのは掃除のしやすい家。維持もメンテナンスも楽であること。犬と猫がいるので床が汚れがちですが、モルタルにしたのでほうきでサッと掃けばOK。平屋で階段もないから掃除機の持ち運びも苦にならない。これまで窓掃除も大変だったのでリビングに大きな窓を一つ付けた以外は小窓のみにしました」
その大きな掃き出し窓から冬は日差しがたっぷり入るので日中はほぼ暖房いらず。モルタルの床は太陽光を蓄熱して温かい。夏は直射日光が入らないので床がひんやり、窓を開ければ風もよく通る。結果、光熱費も安くなった。サイズこそコンパクトだが、井手さんの希望や思いがたくさん詰め込まれたこの家は、7軒目にしてようやくたどり着いた理想の住まいとなった。
「一応それは現時点でね。今のところもう引っ越す予定はないけど、でもわからないか(笑)。どんな人でも生きていくなかで、家族の形や仕事は変わっていくものだから、家も人生のステージに応じて変えたほうがいいし、変化していくべきものだと思う。住まいに自分の生活を合わせるのではなく、自分がしたい暮らしをするために家を変えていく、そのくらい軽やかにいけたほうが健全というか、楽しいと思うんですよね」
井手さんが住み替えた、これまでの家。
井手しのぶ 建築デザイナー
Shinobu Ide
1996年、神奈川県湘南エリアを中心に、一般建築、店舗開発、リノベーション、造園を手がける「パパスホーム」を設立。2013年、代表 を退き、セミリタイア。現在は「Atelier23.」を主宰し、建築に携わる。現在、 1 匹の犬と猫 2 匹と暮らす。www.shinobuide.com
photo : Norio Kidera illustration : Shinji Abe (karera) edit & text : Chizuru Atsuta