赤瀬川原平This Month Artist: Genpei Akasegawa / May 10, 2017
河内 タカ
「愛すべき無用の長物は〝芸術〟である」と唱えた
赤瀬川原平の心はいつもアヴァンギャルドだった。
「超芸術トマソン」ってなんのことかご存知ですか? これは現代アーティストの赤瀬川原平さんが定義した「建物に付着していて美しく保存されている無用の長物」のことを指していう言葉です。1972年のある日、赤瀬川さんは単に登って降りるだけの無用の階段や奇妙にふさがれた窓を発見します。多分、使われていないだろう、単なる工事のやり残しだろうと思っていたら、実はそこに補修の痕跡を発見し実際に使われていたことに驚いたといいます。
超芸術の成り立ちに関して、赤瀬川さんはこんなコメントを残しています。「芸術のように実社会にまるで役に立たないのに、芸術のように大事に保存され、あたかも美しく展示されているかのようなたたずまいを持っている。それでありながら作品と思って作った者すらいない点で芸術よりも芸術らしい存在である、つまりそういったものは『超芸術』であり、中でも不動産に属するものをトマソンと呼ぶ。その中には、かつては役に立っていたものもあるし、そもそも作った意図が分からないものもある。 超芸術を超芸術だと思って作る者(作家)はなく、ただ鑑賞する者だけが存在する」と。
一般的に、芸術というのはアーティストがなんらかの意思や構想を抱いて創り上げるものですが、それに対し、意図が感じられなくともなぜか保存され続けているそれらの摩訶不思議な物件や物体は、芸術を超えたもの、つまり”超芸術”であり、それは発見されまさに芸術作品のように鑑賞に価すると赤瀬川さんは定義したのです。で、ここで使われている「トマソン」とはなんなのか?と当然ながら思われるはずですよね。
これはある人物の名前で、かつて読売ジャイアンツにわずか2年間だけ在籍していたゲーリー・トマソンという1981年にアメリカからやってきた野球選手に由来します。しかし、「巨人の4番」としてかなりの期待を背負ってやってきたトマソン選手でしたが、バッターボックスでやたら豪快にバットを振り回すも、ボールに当てることはできなくて三振の山を築いていきます。1年目はそこそこの活躍をしたものの、翌年は不振続きだったにもかかわらず、人気球団から高額の契約金が支払われ、空振りを見せるために使われ続けたことで、「無用の長物」の象徴としてこの名誉ある称号を赤瀬川さんから与えられたというわけです。
「超芸術トマソン」は、ただ別人の名前をサインした男性用便器を『泉』と名付けアート作品とした提示したマルセル・デュシャンが、「芸術とはなんなのか」ということを突きつけた背景がこの「超芸術トマソン」にも息づいていると思います。つまり、見る側のセンスが試されるということであり、確かに普段の生活の中でこういったものを見つけ始めるとなかなか面白くて、実際、自分が住んでいる周辺にも思いのほか発見できたりするのです。
そもそも、「超芸術」のいいところはそのどれもがとぼけているというか、どこかユーモラスである点で、しかも、それがある場所が重要であるという点では現代アートでいう「サイトスペシフィック・アート(特定の場所に存在するために制作されたアート作品)」というジャンルにも入れることができるという、考えようによってはなかなか奥が深いものでもあるのです。しかも、それらは能動的に探さないといけない体験型の芸術でもあるという……(笑)。
それにしても、ちょっと気にかかることが勝手に名前を使われてしまったゲーリー・トマソン選手は、超芸術と自身の結びつきを理解できたのだろうかということです。でも、まあ、あまりいい思い出がなかった日本で、未だこうやって自身の名前が出てくることもなかなか洒落っ気があっていいのではないかと個人的には思うわけなんですけどね。