MOVIE 私の好きな、あの映画。
極私的・偏愛映画論『麦秋』 選・文 / 久我恭子 (『Gallery Kuga』 主宰) / January 25, 2022
This Month Theme居心地のいい部屋で日常を過ごしたくなる。
3世代で住む、日本家屋での日常。
1951年作、小津安二郎の『麦秋』。今から70年も前の映画である。
3世代同居のにぎやかな一家が、末娘の結婚によって、家族がそれぞれの生活をスタートさせるといった実にシンプルなストーリー。末娘を演じるのは、小津作品には欠かせない原節子。彼女が演じる紀子の兄は笠智衆。義姉にあたるのが三宅邦子。兄夫婦にはやんちゃな息子が2人いていつでも走り回っている。
紀子、兄家族、そして両親(菅井一郎、東山千栄子)と3世代で住む家は、鎌倉にある典型的な日本家屋である。家の中もシンプルで1階に茶の間、2階には個人の寝室がある。もちろん全室和室である。
70年前に主流であった和室は、障子、襖、ちゃぶ台をしつらえている。そうした生活の風景は、日本人でありながら今では遠く感じるし、この上なく懐かしくも感じる。そして、美しいと感じる。
3世代同居というばたばたしていそうな生活であるが、個々人がわきまえていて、きりっときれいに暮らしている。家族でありながらも、お互いをきちんと尊重し合って暮らしているという意識がきちんとあるからなのかもしれない。戦死した次男のことを誰もが口には出さないが、誰もがその悲しみを心に秘めている感じもある。
居心地の良い家があって、家族はそれぞれゆったり過ごしているが、ときには大人たちは銀座の割烹で待ち合わせておいしいものを食べたりするし、紀子も毎日丸の内で忙しく仕事をしている。
共有空間である茶の間で過ごす夜には、ときに大人たちの秘密の時間がある。子どもが寝静まった後、銀座で買ってきた高級ケーキをこっそり味わい、楽しんでいる。昼の茶の間では、みんなで朝ごはんを食べたり、お客さんをお迎えしたりしているのだけれど。
小津映画の中ではドラマティックな展開は起こらず、日々の暮らしの中に、日々の家族の会話の中に、明日の暮らしへの“変化の種”が埋められている。その種が発芽するとき、今までの暮らしが急に変化し、そして終わる。
『麦秋』のラストシーンで、紀子が戦死した次兄の友人と結婚して秋田に移住することによって、両親も本家がある奈良に移り住むことになるが、そこで両親がしみじみ語らうシーンがある。
「みんな、離れ離れになってしまったけど、私達はまあいいほうだよ」という父の台詞があり、母が「でもほんとうにしあわせでしたわ」と続ける。
暮らしの変化の種が発芽するまでは、何気ない日々の暮らしを大切にしなければ、と心底思わせてくれる、そして何度でも見返したい名画である。