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滋賀・奥琵琶湖で聖なる水辺を歩く旅。August 09, 2025

面積、水量、歴史の長さいずれも日本一の規模で、エリアによってその表情を変える琵琶湖。なかでも奥琵琶湖と呼ばれる北部は幻想的。偉大なマザーレイクに、心静かに向き合える。

滋賀・奥琵琶湖で聖なる水辺を歩く旅。前編 | 湖の恩恵にあずかる、人々の暮らし。琵琶湖には、鮒寿しになるニゴロブナをはじめ、ビワマス、コアユ、ホンモロコなどの固有種のほか、さまざまな淡水魚が生息している。岸釣りや、船釣りでもボートからSUPまでと、釣りのスタイルもさまざま。
湖の恩恵にあずかる、人々の暮らし。琵琶湖には、鮒寿しになるニゴロブナをはじめ、ビワマス、コアユ、ホンモロコなどの固有種のほか、さまざまな淡水魚が生息している。岸釣りや、船釣りでもボートからSUPまでと、釣りのスタイルもさまざま。
滋賀・奥琵琶湖で聖なる水辺を歩く旅。前編 | 魞漁は定置網の一種で、琵琶湖独特の仕掛け。古墳時代から1000年以上も続く、必要な量だけ捕獲する持続可能な伝統的漁法だ。湖面に突き出た棒が並ぶ仕掛けの様子は、琵琶湖と人の共生を象徴する風景。
魞漁は定置網の一種で、琵琶湖独特の仕掛け。古墳時代から1000年以上も続く、必要な量だけ捕獲する持続可能な伝統的漁法だ。湖面に突き出た棒が並ぶ仕掛けの様子は、琵琶湖と人の共生を象徴する風景。

日本最大の湖、琵琶湖。その懐の深さ。

 その広大さはまるで海のようだが、荒々しさは皆無で、どこまでも静謐。マザーレイクと呼ばれるに相応しい安定した佇まいと凜とした美しさに、思わず眼を奪われ、心を摑まれる。琵琶湖のまわりに人間が住み着いたのは数万年前かららしいが、いつの時代の湖畔に立つ人も、同じように感じられたのではないか。

 琵琶湖は、地球上で20ほどしかない〝古代湖〟のひとつだ。10万年以上存在している湖をそう呼ぶが、琵琶湖が誕生したのはその定義を遥かに上回る400万年前。地球規模で貴重なこのような自然環境が、僻地でも秘境でもなく、人々の生活と密着しているというのが、また稀有なのだ。

 400本以上の河川から流入する275億tの貯水量は国内随一。琵琶湖は「近畿の水瓶」の異名のとおり、京都や大阪をはじめとする近畿地方の、実に1400万人もの生活用水をまかなっている。滋賀県の真ん中に位置し、県の面積の6分の1を占めるほどの面積で、日本海と太平洋、どちらの気候の影響も受けている。その複雑な環境が生物の多様性をもたらし、60超の固有種を含む2400もの種が生息している。

 湖岸の風景は砂浜地帯やヨシ帯などエリアごとに異なる様相をしており、殊、北部においては岩礁が多いのが特徴。琵琶湖のなかでも特に深い水深(最大水深104m!)と、湖岸まで迫る深い緑の山とが織りなす起伏、そして雨雪が多い地域ゆえの湿気を含んだ空気、立ち込めるもやとが相まって、どこか神秘的な雰囲気。琵琶湖周辺の各地に龍神信仰があったというが、なるほど、確かに龍が現れそうな気配だ。

 今回の旅で歩いたのは、この奥琵琶湖のエリア。湖西から湖北、湖東まで、湖の北半分を湖岸をなぞるようにして巡った。

滋賀・奥琵琶湖で聖なる水辺を歩く旅。前編
近江最古の大社『白鬚神社』の湖中大鳥居。創建2000年余。『白鬚神社』(高島市鵜川215)は延命長寿のほか、縁結びや子授け、福徳開運、攘災招福、商売繁盛、交通安全など、人の世のあらゆる導きおよび道開きの神として信仰されてきた。湖中大鳥居は古より波打ち際に見え隠れしていた、また天下異変の前兆に突如姿を現したといった伝説が残り、室町時代の屏風絵にも描かれている。実際に鳥居が建立されたのは1937年、現鳥居は1981年に建て替えられたもの。

 スタートは、湖西の『白鬚神社』から。創建2000年余という近江最古の神社が湖岸にあり、湖沿いを走る国道を挟んだ湖中に、朱塗りの大鳥居が浮かぶ。鳥居は神域と俗界の結界とされるが、この場合、陸側の社殿はさることながら、琵琶湖も聖域ということになるだろうか。そんなことを考えながら青空に映える朱の鳥居、グリーンからブルーに変わる湖のグラデーションを眺めていると、心が晴れやかに浄化されていくよう。きっとこれは、旅のいい幸先だ。

滋賀・奥琵琶湖で聖なる水辺を歩く旅。前編 | 島全体がパワースポットの、竹生島。「深緑 竹生島の沈影」は琵琶湖八景の一つ。竹生島には湖西の今津港と湖東の長浜港からクルーズ船が出ており、所要時間は片道いずれも30分ほど。
島全体がパワースポットの、竹生島。「深緑 竹生島の沈影」は琵琶湖八景の一つ。竹生島には湖西の今津港と湖東の長浜港からクルーズ船が出ており、所要時間は片道いずれも30分ほど。
滋賀・奥琵琶湖で聖なる水辺を歩く旅。前編 | 着岸直前の船上から見た竹生島。一枚岩の花崗岩でできている島だ。
着岸直前の船上から見た竹生島。一枚岩の花崗岩でできている島だ。
滋賀・奥琵琶湖で聖なる水辺を歩く旅。前編 | 周囲2㎞ほどの小さな島で1時間ほどあれば1周できるが、急峻な地形で階段が多い。
周囲2㎞ほどの小さな島で1時間ほどあれば1周できるが、急峻な地形で階段が多い。
滋賀・奥琵琶湖で聖なる水辺を歩く旅。前編 | 『都久夫須麻神社』の龍神拝所。湖に向かって立つ鳥居に土器を投げて願掛けをする。
『都久夫須麻神社』の龍神拝所。湖に向かって立つ鳥居に土器を投げて願掛けをする。

『白鬚神社』から車で20分ほど北上すると、今津港に到着。ここから、パワースポットとして名高い竹生島へ渡るクルーズ船が出ているのだ。竹生島は無人島ながら『宝厳寺』や『都久夫須麻神社』で構成された、島全体が神域、水上のサンクチュアリだ。神社には湖に向かって開けている龍神拝所があり、その先には湖に突き出した格好でやはり鳥居が立っている。それぞれに名前と願い事を書いた2枚の土器を投げ、うまく鳥居をくぐると願い事が成就するといわれており、鳥居のたもとの地面は土器の破片でいっぱい。絶景に向かって土器を放り、それが空中を飛んでガシャンと割れる様に爽快感があるからか、訪れた皆が楽しそうに挑戦していた。

滋賀・奥琵琶湖で聖なる水辺を歩く旅。前編 | 『針江 生水の郷』の、水と人との美しい関係。高島市針江の集落の水路には、各家から出た湧き水が流れ込む。この水は針江大川から琵琶湖へと通じている。
『針江 生水の郷』の、水と人との美しい関係。高島市針江の集落の水路には、各家から出た湧き水が流れ込む。この水は針江大川から琵琶湖へと通じている。
滋賀・奥琵琶湖で聖なる水辺を歩く旅。前編 | 個人宅の脇に設えられた水場。誰でも使えるよう、いつも清潔に保たれ、花が植えられている。
個人宅の脇に設えられた水場。誰でも使えるよう、いつも清潔に保たれ、花が植えられている。
滋賀・奥琵琶湖で聖なる水辺を歩く旅。前編 | 「川端」は、湧き水を利用した炊事場。共同の水路に流れるので、洗濯など水が汚れるような使い方はしないのが住民同士の暗黙のルール。
「川端」は、湧き水を利用した炊事場。共同の水路に流れるので、洗濯など水が汚れるような使い方はしないのが住民同士の暗黙のルール。
滋賀・奥琵琶湖で聖なる水辺を歩く旅。前編 | 住民総出で定期的に清掃する綺麗な水辺には、アオサギがよく訪れる。
住民総出で定期的に清掃する綺麗な水辺には、アオサギがよく訪れる。

水とともに生きる、近江の人々。

 高島市の針江には、昔ながらの独自の水の文化が残っている。集落の約100戸が自宅にそれぞれ「川端」と呼ばれる炊事場を持っており、年間通して約14℃を保っている湧き水を、水汲みに、洗顔に、料理に、冷蔵庫代わりにと、生活全般で利用してきた。各川端は集落全体を網目状に流れる水路に直結しているため、上流の人は下流の人を思い、下流の人は上流の人を信頼することで、水を共有してきたのだ。

「ここでは水が循環しているのが目に見える。人と人が、そして人と水がつながっているということが、説明しなくても感覚的にわかるんです」

 針江の住民でありガイドを務める前田啓子さんが、集落を案内しながらそう説明してくれた。

 比良連峰の雪解け水や雨水が山中に浸透し、数十年かけて濾過して針江に、そこから針江大川を経て琵琶湖へと流れていく。そして最後は、大阪湾から太平洋へ。

「隣人、隣県の人、ひいては世界中の人も使う水。それが水蒸気になり、雲になり、雨雪になり、その水がいずれまた、ここに還ってきます。水を綺麗に使うことは結局、自分自身に還ってくるということです」

滋賀・奥琵琶湖で聖なる水辺を歩く旅。前編
「奥琵琶湖パークウェイ」の風光明媚。琵琶湖の最北端に突き出た葛籠尾半島を走る「奥琵琶湖パークウェイ」は、約20㎞のドライブコース。沿道は春には桜、秋には紅葉に彩られる。沿線には『つづら尾崎展望台』をはじめ、各所にパーキングや自然歩道なども。写真はパークウェイ西側の県道513号葛籠尾崎大浦線沿い、大浦漁港の近く。高湿な空気が音を吸収するからか、山深い地形に外部から閉ざされた感じを受けるからか、琵琶湖は一層、静寂さを増している。

「奥琵琶湖パークウェイ」として整備されたドライブコースは、琵琶湖の北岸にある。このあたりの琵琶湖の幽玄な風景は、近寄りがたい気高さと、こちらに寄り添ってくれるような緊密さのどちらの雰囲気も併せ持ち、湖西のからりと明るい砂浜地帯とはひと味違った趣がある。道中見かけた釣り人や散策する人も、たいがいひとり。大人数で賑やかに、というよりは、ひとり思索に耽るのが似合うのが奥琵琶湖だ。

滋賀・奥琵琶湖で聖なる水辺を歩く旅。前編
中山道61番目の宿場町、醒井宿の新緑。鈴鹿山脈の霊仙山からの水が湧き出る米原市の醒井宿。風情ある町並みに沿って流れるのは地蔵川。水源の「居醒の清水」は『古事記』『日本書紀』にも登場、日本武尊が傷を癒やした霊水と伝えられ、現在も日に1.5tの水が湧き出している。地蔵川には、清水にしか咲かないという全国でも珍しい水中花の梅花藻や、同じく清水にしか生息しない絶滅危惧種の淡水魚のハリヨが見られ、それらは清冷な水の証左となっている。

 昔ながらの町並みを残すかつての宿場町を見たくて、そのまま湖東へと向かう。長浜市には、中山道と北陸を結ぶ北国街道に、木之本宿がある。昭和の初め頃まで街道の真ん中に流れていた川は現在は埋め立てられているものの、江戸時代から続く酒や醤油の醸造元、商家などの古い建物が当時の様子を偲ばせる。

 そこから南に下った米原市の醒井宿は、中山道の宿場町。こちらには今でも街道に沿って地蔵川が流れている。ささやかなせせらぎがなんとも耳に心地いい。運よく、初夏の風物詩、梅花藻を見られた。川中の藻が、梅の花に似た可憐な白い小花をちらちらと咲かせている。水温が14℃程度に保たれた清流でしか生育しないため、全国的にも限られた場所でしか見られないこの花は、針江の水路でも咲きかけていた。

 水は生命の故郷だ。海や川の近くで育った人は、水のないところでは気持ちがどこか落ち着かず、無性にそれが恋しくなるという。それはとりもなおさず、生き物としての本能が機能しているということなのだろう。それが琵琶湖ならどうか。内陸にある針江や木之本、醒井からは琵琶湖は見えない。けれど、湧き水や小川を通じて、琵琶湖の存在はいつでもそばに感じることができる。いつもそこに必ずあるという大きな安心感が、心を安らかに鎮静してくれる。

 
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東京から琵琶湖へは、湖東側にはJR米原駅から、湖西側であればJR大津駅からアクセスし、いずれかの駅からレンタカーを借りるのが便利。琵琶湖1周は約200㎞で、所要時間は車で約4時間。電車なら、琵琶湖を1周するJR琵琶湖環状線(湖西線および北陸本線)を利用してもいい。琵琶湖を1周するサイクリングコース「ビワイチ」も近年人気が上がっている。

photo : Norio Kidera illustration : naohiga edit & text : Mick Nomura (photopicnic)

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