BOOK 本と言葉。

料理家の長尾智子さんが紹介する、おいしい朝食が出てくる本。June 12, 2025

朝の日差しに包まれながら読む本は、今日のはじまりを祝福するものでありたい。ここでは、くちずさみたくなる詩、美しい風景が綴られた小説、思わず舌鼓を打ちたくなる朝食が描かれた本を、それぞれの選者が紹介する。今回は、料理家・長尾智子さんが、「おいしい朝食が出てくる本」を2冊紹介。幸せでも辛くても朝は平等にやってくる。かけがえのない一日を象徴する一文とともに、豊かな本の世界へ。

&Premium114号「朝を楽しむための28のこと」より、特別にWEBで紹介します。

『ここに住みたい』 著 堀内誠一(中公文庫) 

ここに住みたい 著 堀内誠一 中公文庫
蘇州飯店の朝食と昼食は北京に永く居すぎたと悔まれたほど美味しくて、禅味のようなものがあった。例えばワカメの天ぷらをもんだみたいのがあった。味をみるとこれは野菜の干物で、これに絶妙に合うのはソバのソバ焼きなので、焼ソバと普通言うけれどソバ粉の麺をいためてみようと思ったことがありますか?
「中国」より

好奇心と、人を見る眼差しの優しさで出来上がっているような堀内誠一さんの旅。どこに行っても探すのは安宿と安ワイン、そして市井の人々の営み。上海の西側にある蘇州では、食いしん坊ならではの分析は何とも美味しそうで、興味津々の老舗ホテルの料理を観察し、ほんの一言だけ触れた朝食の話なのに、すでに目の前にはお粥やスープの湯気の湿気を帯びた食堂の風景が浮かんでくるのはなぜだろう。遠くの朝がぐっと近づいてくる。こんな旅をしたい、とつくづく思う。

『スタインベック 短編集』 著 ジョン・ スタインベック/ 翻訳 大久保康雄 (新潮文庫)

スタインベック 短編集 著 ジョン・ スタインベック 訳 大久保康雄 新潮文庫
私はもうすぐ近くまできていたので、ベーコンをいためるにおいや、パンをやくにおいなど、この上もなくあたたかくて、この上もなくよろこばしい、あのなつかしいにおいがただよってくるのを嗅ぐことができた。光は東から急速にひろがっていった。
「朝めし」より

美はどこにあるのか。初老の男の瞳に映る朝日と山々であり、朝食の匂いを纏う暖かな空気である。それ以上に、何の見返りも求めず当たり前とすら思わず、いつでもどんな状況でも、通りすがりの人に食べていかないかと言える心の美。印象的な最後の一文まで読んだら、もう一度始めに戻り、香ばしく焼けるベーコンやパンの匂いを吸い込みながら、改めて噛み締めるように読み直したくなるでしょう。20世紀初頭のアメリカ、厳しい時代に生きる人の美しい朝食の風景を何度でも。

長尾智子 Tomoko Nagao料理家

書籍や雑誌での執筆、商品開発、メニュー提案など、料理をする楽しみを触発する、食に関わる活動を幅広く行う。著書に『料理の時間』(朝日新聞出版)、『ティーとアペロ お茶の時間とお酒の時間 140のレシピ』(柴田書店)など多数。食卓を提案するオンラインストア「SOUPs」を主宰。

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