河内タカの素顔の芸術家たち。
美しい美術館を造り続けた建築家 谷口吉生【河内タカの素顔の芸術家たち】February 10, 2025
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谷口吉生 Yoshio Taniguchi
1937 – 2024 / JPN
No. 136
谷口吉郎の長男として東京で生まれる。慶應義塾大学工学部を卒業し、1964年にハーヴァード大学建築学科大学院で建築学修士を取得。丹下健三都市建築設計研究所勤務を経て1975年に独立。美術館建築で世界的に評価され、主な建築作品に土門拳記念館(1983)、丸亀市猪熊弦一郎現代美術館(1991)、豊田市美術館(1995)、東京国立博物館 法隆寺宝物館(1999)、ニューヨーク近代美術館新館(2004)、鈴木大拙館(2011)、京都国立博物館平成知新館(2014)を含む11の美術館建築がある。2005年に高松宮殿下記念世界文化賞を受賞、2017年6月には日本経済新聞に『私の履歴書』が連載され、後に書籍化された。
美しい美術館を造り続けた建築家
谷口吉生
「ニューヨーク近代美術館(MoMA)」の新館がオープンしたのが、今からおよそ20年前の2004年のこと。銀色のファサードとガラス窓に覆われたその端正な建築の設計者として、地元紙のザ・ニューヨーク・タイムスで紹介されたのが建築家の谷口吉生でした。”アートの殿堂”と称されるMoMAの建築を、当時海外では無名に近かった日本人建築家が手がけたことにまず驚かされたのですが、おそらく記事を読んだ人たちも「この建築家はいったい誰なんだ?」と訝しく思っていたはずです。幸い新生MoMAは好評で、実際に素晴らしい建築であったため、僕もこの建築家のことを誇らしく思うようになっていったのでした。
谷口が日本国内で数多くの美術館の設計を行なったことを帰国後に知るや、僕は機会があるごとに谷口建築を見て回るようになりました。最初に訪れたのは山形県酒田市にある「土門拳記念館」。自然林と丘を背景として前面に池を配した、白を基調としたモダニズム建築にのっけから感銘を受けました。次に訪れたのが巨大な門型の深い庇(ひさし)を持つ「丸亀市猪熊弦一郎現代美術館」でした。駅前の広場に建てられた開放的かつ特徴のある建物を目の前にして、「ああ、これがMoMA新館の礎となった建築なんだなぁ」と実感した思い出があります。同じような門型の庇は上野公園内の「法隆寺宝物館」にも採用されていて、前方に水盤のあるテラス広場、ガラスや格子で覆われた明るいエントランスホールと展示室の仄暗さの対比が絶妙で、観るものの意識が自然と集中できる仕掛けがなされています。
静岡県掛川市にある「資生堂アートハウス」は、谷口が41歳の時に手がけた初期作品であり、磁器タイルとミラーガラスで覆われた外観、流線型を描く大小の展示室、そして周囲の緑に溶け込むような設計は今も古さが感じられません。巨大スケールの「豊田市美術館」は谷口の代表作のひとつであり、水平に伸びるファサードの巨大な構えとグリッド構造が美しく、乳白色のガラス窓からの柔らかな光は他に類を見ないほどです。東山魁夷の二つの美術館も谷口の仕事です。「長野県立美術館」に併設された、中庭の池に三つの立方体の建物が連なる「東山魁夷館」は、水面に写る建物の様相がどこか桂離宮のシルエットを思い起こさせ、香川県坂出市の沿岸沿いに建つ「東山魁夷せとうち美術館」は、二室の展示室と小ぶりながらも谷口が得意とする縦と横のラインが鮮烈なほどシャープで、また美術館への斜めから真っ直ぐに延びるアプローチも魁夷の代表作『道』を意識したものです。
そして、吉生の父で著名な建築家の谷口吉郎の出身地である金沢には、父子の作品が点在していて、二人の共作「金沢市立玉川図書館」や生家の跡地に建設された「谷口吉郎・吉生記念 金沢建築館」のほか、谷口が「自分が設計した美術館の中で、最も難しい課題が与えらた建物だった」と語った「鈴木大拙館」があります。「鈴木大拙館」は無の心境を形にしたと言われる白い建物で、森を背景に広々とした池に面した外廊下を廻っていくという動線なのですが、驚くのはここの展示物が極端に少ないということで、それが逆にこの建築を際立たせていて、寺や神社と異なる極めて珍しい静的な瞑想の場になっているのです。
谷口は同世代の建築家たちに比べて、一つ一つにじっくり入念に取り組むためあまり多くの建築は手がけず、MoMAの時を除いて仕事を得るためのコンペにも参加することがありませんでした。自身の建築についても多くを語らず、建築自体に語らせることを優先していたそうです。そのように建築家としてのエゴや主張を抑えた建築は、シンプルで洗練された佇まいがあり、隅々までの精巧なディテールと緊張感が息づいているのです。水に反射した光と影を映像的に壁面に取り入れるなど、周囲の自然の現象を空間と一体化させる洗練された技を目の当たりにするたびに、谷口が「世界で最も美しい美術館を手掛ける建築家」と言われていることに妙に納得してしまうのです。
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『私の履歴書-谷口吉生』(淡交社)谷口吉生氏の初の自伝。「建築作品を通してのみ自身を表現する」ことを心がけ、建築理念や父・谷口吉郎との関係、自身の半生について、公に語ることの少なかった著者の肉声を集めた一冊。