河内タカの素顔の芸術家たち。

生涯に渡って写真を撮り続けていた画家 藤田嗣治【河内タカの素顔の芸術家たち】August 10, 2025

生涯に渡って写真を撮り続けていた画家 藤田嗣治

藤田 嗣治 Tsuguharu Foujita
1886- 1968 / JPN, FRA
#142

日本生まれのフランスの画家。第一次世界大戦前よりフランスのパリで活動。モディリアーニなど画家たちと交流しエコール・ド・パリの一員として活躍。猫と女性を得意な画題とし、日本画の技法を油彩画に取り入れつつ、“乳白色の肌” と呼ばれた独自の裸婦像が西洋画壇の絶賛を浴びる。第二次世界大戦中は戦争画を制作し、戦後はフランスに帰化し洗礼を受けレオナール・フジタと名乗る。フランス北部のランスに「平和の聖母礼拝堂(フジタ礼拝堂)」の設計と壁画を手がけ、藤田もその地に埋葬されている。

生涯に渡って写真を撮り続けていた画家
藤田嗣治

 おかっぱ頭に口髭、丸眼鏡、そしてピアスと、明治19年に生まれた日本人男性としてはかなり奇抜なスタイルとファッションで知られた藤田嗣治。“乳白色の肌” と呼ばれる独特の技法で描かれた裸婦像や猫を描いた作品が高い評価を受け、日本人としては最も成功したエコール・ド・パリ*1 を代表する画家として一世風靡しました。

 医者の家に4人兄弟の末っ子として生まれ、子どもの頃に絵を描き始めた藤田は、東京美術学校で洋画を学んだ後、画家を目指して26歳の時に単身フランスへ渡ります。その年はパブロ・ピカソやジョルジュ・ブラックが創始したキュビスムを集大成するような「セクション・ドール」展が開催された1912年で、「黒田清輝流の印象画がこそが洋画だ」と教えられてきた藤田はショックを受け、より自由な表現を求めて今までの作風を放棄することを決意。ピカソやジャン・コクトーらと交流し、隣室の住人であったアメデオ・モディリアーニとは親友となり、日本画に使う面相筆による線描を生かした技法によって、藤田の代名詞である透きとおるような画風を確立していくのです。

 フランス語綴りの「Foujita」から「FouFou (お調子者)」という愛称で親しまれ、やがて1920年代のフランスのアイコン的な存在にまでなった藤田は、多くの写真の被写体としてもてはやされました。知人であったアンドレ・ケルテスやマン・レイなど気鋭の写真家や芸術家たちも藤田を撮影していて、藤田と猫が正面を見据える印象的な写真を撮ったケルテスは、「…常に演技がかっておりその態度に意図的なものを感じた」と藤田の自己演出における印象を述べていて、画家としての自己プロデュースを戦略とした藤田はかなり今日的な芸術家であったとも考えられます。

 このように巧妙に計算された演出は、1920年代半ばから晩年までずっと描き続けた自画像にも同様に表れていて、例えば西洋仕込みの油絵の画家でありながら、墨と硯をかたわらに置いて面相筆を持つ姿を描き、自分が日本人であることを強調しました。またポートレート写真においても、日本刀を持つ凛々しい姿を撮らせている一方で、裁縫やミシンを踏んでいる姿を披露するなど、藤田の一筋縄ではいかない多面性を演出していたりするのです。

 画家として大成功を収めた藤田ですが、実は早くから〈ライカ〉を愛用し、当時は一般人が気軽に扱えなかったフィルム動画も使いこなすなど、写真と動画に精通していたことはこれまでほとんど知られていませんでした。しかもモノクロだけでなくカラー写真にもチャレンジし、パリで親交があった木村伊兵衛は藤田のカラー写真を高く評価し日本のカメラ雑誌で紹介*2 したほどです。現在、東京ステーションギャラリーで開催されている「藤田嗣治 絵画と写真」展では藤田の写真を絵画とは別の表現手法として紹介しており、彼がパリの街や世界各地を旅しながらカメラを肌身離さず、かなり膨大な写真を残していた事実を知ることができます。

 絵の制作において藤田が写真を使っていたことはわりと知られていたようですが、この展示を見ても確かに写真をもとに描かれた形跡が多く見て取れますし、南米や中国への旅の途上で撮影した先住民や風俗の写真をもとに描かれた絵などは、写真の正確な記録性なしでは生まれなかったであろう作品群です。

 そんな藤田が撮った写真はそれぞれが興味深いのですが、個人的にはエクサン・プロヴァンスにあるセザンヌのアトリエや、漂うボートから岸辺に向かって撮った写真、あるいはソール・ライターを思わせる50年代の街や古道具屋のカラー写真はとても魅力的で、自分なりにカラーの可能性を追究していた姿が思い浮んでしまうのです。芸術性においても優れ、被写体への画家の眼差しが知ることができるだけに、藤田の写真は今後の研究材料となっていくはずです。

 藤田が生涯写真を撮り続けていたこと自体、これまで知られていなかったのが不思議なくらいなのですが、おそらくこの展示を見た後は、彼の絵がどのように写真と関連していたのか、どの部分が写真をもとに描かれたのかと自然と考えるようになるかもしれません。藤田にとって写真とは絵を描く際の補助手段だけでなく、自分では気づいていなかったもうひとつの表現媒体だったことを、今回の展示でよく理解できると思うのです。

*1 モンマルトルやモンパルナスを中心に活動していた、特定の芸術運動に属さない様々な国から集まった芸術家たちの総称。

*2 藤田を訪れた木村伊兵衛は藤田から6枚のスライドを借用し、写真雑誌『アサヒカメラ』に1955~56年にかけて計5回掲載された。

Illustration: SANDER STUDIO

『藤田嗣治 絵画と写真』(キュレイターズ)開催中の展覧会の公式カタログ。本邦初公開の写真を含む豊富な図版を収録し、37の多彩な切り口からフジタの絵画と写真の関係を検証する一冊。

展覧会情報
『藤田嗣治 絵画と写真』
会期:2025年8月31日(日)まで開催中。休館日:8月12日(火)、8月18日(月)
会場:東京ステーションギャラリー
住所:東京都千代田区丸の内1-9-1
お問い合わせ: 03-3212-2485
藤田嗣治の写真との関係について包括的に取り扱った意欲的な展示。最後の伴侶であった君代氏の手元で保管され、日本とフランスに遺された数千枚の写真資料の中から厳選して紹介する。藤田の絵画と写真の密接な関係を紹介する本展は、 彼の創作活動における写真の役割を考える絶好の機会となっている。
https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202507_foujita.html

巡回予定
名古屋市美術館
2025年9月27日(土)〜12月7日(日)
茨城県近代美術館
2026年2月10日(火)〜4月12日(日)
札幌芸術の森美術館
2026年4月29日(水・祝)〜6月28日(日)


文/河内 タカ

高校卒業後、サンフランシスコのアートカレッジに留学。NYに拠点を移し展覧会のキュレーションや写真集を数多く手がけ、2011年長年に及ぶ米国生活を終え帰国。2016年には海外での体験をもとにアートや写真のことを書き綴った著書『アートの入り口(アメリカ編)』と続編となる『ヨーロッパ編』を刊行。現在は創業130年を向かえた京都便利堂にて写真の古典技法であるコロタイプの普及を目指した様々なプロジェクトに携わっている。この連載から派生した『芸術家たち 建築とデザインの巨匠 編』(アカツキプレス)を2019年4月に出版、続編『芸術家たち ミッドセンチュリーの偉人 編』(アカツキプレス)が2020年10月に発売となった。

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