河内タカの素顔の芸術家たち。
極北の大自然の中で繊細なプロダクトを生み出したタピオ・ヴィルカラ【河内タカの素顔の芸術家たち】June 10, 2025

タピオ・ヴィルカラ Tapio Wirkkala
1915 - 1985 / FIN
No. 138
氷や水、木の葉など、自然の要素をモチーフに取り入れるスタイルで知られるフィンランドを代表するデザイナー、彫刻家。フィンランド南部の港町ハンコに生まれ、1933年からヘルシンキの美術学校で彫刻を学んだ後に、イッタラ社のデザインコンペ優勝を機に同社のデザイナーに起用される。1951年にはミラノで行われたトリエンナーレで三部門金メダルを受賞。長年ヘルシンキの中央美術工芸学校(現アアルト大学)で教鞭をとり、約40年にわたり第一線で活躍したのちヘルシンキで69年の生涯に幕を閉じた。
極北の大自然の中で培われた繊細なプロダクト
タピオ・ヴィルカラ
アルヴァ・アアルトやカイ・フランクと並び、フィンランドのモダンデザイン界の重鎮として知られるタピオ・ヴィルカラの日本初となる回顧展『タピオ・ヴィルカラ 世界の果て』が行われています。都内では6月中旬まで、その後は市立伊丹ミュージアムと岐阜県現代陶芸美術館へ巡回することになっています。タピオ・ヴィルカラといえば、フィンランドのガラスメーカー〈イッタラ〉の、氷が溶け出す瞬間を閉じ込めたような「ウルティマ・ツーレ」がよく知られたプロダクトだと思いますが、この効果を生み出す技術の開発にはなんと数千時間を要したそうです。他にも二頭のトナカイをラベルにあしらった「フィンランディア」のウォッカボトルもヴィルカラによるデザインです。
多彩な才能を持っていたヴィルカラですが、ガラス製品のみならず、カトラリー、銀食器、磁器、家具、照明、グラフィック、都市計画やフィンランド紙幣のデザインに加えて、今回の展示でも披露された、薄い板を何層も重ねて独自に開発した「リズミック・プライウッド」による造形作家としても活躍するなど、彼のデザインの領域は実に広範囲に渡っていました。また、彼の妻が近年日本でも注目されるようになった陶芸家のルート・ブリュックであるということも忘れてはなりませんね。
フィンランド人であれば誰もが知る有名人でありながら、ヴィルカラは人一倍孤独を愛していたと言われています。ヘルシンキに自宅とアトリエを持っていたものの、フィンランド最北部のラップランドの森に、小さな新聞広告でたまたま見つけた先住民族サーミ人が建てたログハウスを購入。それから夏の間は、ルートと息子のサミ、娘のマーリアとともにその家を拠点とし、ナイフや調理道具を手作りするなど、ほぼ自給自足の生活を継続していきます。
人里からかなり遠く離れ、築100年は経っていたこの家には、水道や電気が引かれていませんでした。ストーブを購入するまで、湖の水を暖炉の鍋で沸かし、冷たい湖で水浴びしては簡易的に温めたサウナに入っていたといいます。ただし、家の真ん中に石組みの重厚な暖炉があったのは大きな救いだったようで、ずっと置きざりにされていた木製のテーブルとベンチを囲んで、一家はそこで日々の生活を営んでいました。納屋の半分を自身のアトリエとして改良し、湖の反対側にあった家を織物と陶芸を制作するルートの仕事場として購入し造り変えると、そこの住み心地が良かったのか、この家が彼らの母屋として使われるようになります。
長期の滞在に向け、ヴィルカラたちは塩、ジャガイモ、コーヒーなどを大量に積んだ車で長時間のドライブをし、途中の街で日用品などを調達した後、ボートを使って物資や食材を運んでいました。新鮮な牛乳とパンが数キロ離れた隣人から届けられる以外は、キノコやクラウドベリーを森で採り、湖や川ではマス、ホワイトフィッシュ、カワカマスなどを釣って調理し、保存食として燻製や塩漬けしたりしていたそうです。
陽が沈むことのないラップランドは白夜の日々でしたが、ヴィルカラは湖や森でスケッチをするために早起きし、誰にも邪魔されることなく好きなときに仕事をしていました。自然にどっぷり浸ることで感性を研ぎ澄ませて、自ら生み出したという数学的比率を併用させたのが、ヴィルカラの一連のデザイン・プロダクトでした。例えば、キノコを発想の源にしたラッパのような形をした《カンタレッリ》、氷の割れ目という現象を抽象的に表現した《ヤーンサロ/アイスクラック》といった繊細なガラス作品を見れば、フィンランドの大自然のエネルギーがそこに内包されているのを理解できるはずです。
今回の展示には、鳥の置物やパイプなどの道具をこつこつ木を削って作ったり、自らのオブジェを自然の中に置いて写真に撮るヴィルカラの姿を写した映像やスライドが流れています。比較的大きい試作品を運ぶ際はヘリコプターを使わなければならないほど、文明から距離を置いた暮らしを送っていたヴィルカラ一家。展覧会のタイトルとして使われた「ウルティマ・ツーレ」は、ラテン語で「世界の最北」を表す言葉なのですが、心臓の鼓動が聞こえてくるほどの静寂さだったという環境に浸りながら、日々インスピレーションを受けて制作に取り組んでいたことが容易に想像でき、それゆえにヴィルカラの作品にラップランドの大自然からの恵みが細部にまで宿っていることが頷けるのです。

『タピオ・ヴィルカラ 世界の果て』(ブルーシープ)現在開催中の展覧会の公式アートブック。ヴィルカラの作品やドローイングの図版のほか、彼自身が撮影したカラー写真も掲載する。
展覧会情報
『タピオ・ヴィルカラ 世界の果て』
会期:開催中~2025年6月15日(日)
会場:東京ステーションギャラリー
会場:東京都千代田区丸の内1-9-1
フィンランドのエスポー近代美術館、タピオ・ヴィルカラ&ルート・ブリュック財団およびコレクション・カッコネンから厳選したプロダクト、オブジェ、写真、そしてシグネチャーとなるイッタラ商品など約300点を展示。本展は市立伊丹ミュージアム(2025年8月1日~10月13日予定)、岐阜県現代陶芸美術館(2025年10月25日~2026年1月12日予定)への巡回が予定されている。
https://www.ejrcf.or.jp/gallery/exhibition/202504_tapio.html
文/河内 タカ
高校卒業後、サンフランシスコのアートカレッジに留学。NYに拠点を移し展覧会のキュレーションや写真集を数多く手がけ、2011年長年に及ぶ米国生活を終え帰国。2016年には海外での体験をもとにアートや写真のことを書き綴った著書『アートの入り口(アメリカ編)』と続編となる『ヨーロッパ編』を刊行。現在は創業130年を向かえた京都便利堂にて写真の古典技法であるコロタイプの普及を目指した様々なプロジェクトに携わっている。この連載から派生した『芸術家たち 建築とデザインの巨匠 編』(アカツキプレス)を2019年4月に出版、続編『芸術家たち ミッドセンチュリーの偉人 編』(アカツキプレス)が2020年10月に発売となった。