河内タカの素顔の芸術家たち。
ラディカルな写真家 中平卓馬【河内タカの素顔の芸術家たち】Takuma Nakahira / March 10, 2024
ラディカルな写真家
中平卓馬
現在、東京国立近代美術館にて写真家の中平卓馬の回顧展が行われています。東京外国語大学スペイン語学科を卒業した中平のキャリアは、最初は写真家ではなく『現代の眼』(現代評論社刊)という月刊誌の編集者としてスタートしました。その編集部でグラビアページを担当していた東松照明と出会い、誌面の企画を通じて写真に関心を持った中平はほぼ独学で写真を学び、同誌を離れた後に写真家・評論家として活動を始めたのです。
1968年には多木浩二、高梨豊、岡田隆彦と共に“思想のための挑発的資料”と銘打った写真同人誌『Provoke』(プロヴォーク)を創刊。これはそれまでの写真表現を見直し、否定し、乗り越えようと目論んだもので、荒れた粒子、傾いた構図、ボケた焦点、モノクロで撮られた一連の写真は、中平たちによる社会に対する挑戦的なステートメントでした。その翌年、今度は「第6回パリ青年ビエンナーレ」に参加し、荒涼とした都市の夜景を写した6点組の『夜』をグラビア製版によるプリントで発表します。
当時の中平が撮ったスピード感のあるスナップ・スタイルの写真は、今見ても強烈な印象を残すのですが、その多くは自身初の写真集『来たるべき言葉のために』で掲載されたもの。なんとそれまでに撮ったプリントやネガ・フィルムの大半を本人の意思で焼却したために、現在はそれほど多くは残っていないのです。したがって今回の展示にも、前半期の活動を紹介するセクションでは、写真作品ではなく雑誌や印刷物が多く使われているわけですが、個人的には額装された写真よりも、さらに生々しく中平の本質や写真への向き合い方を物語っているように思えました。
そして、30代半ばの1973年に発表したのが評論集『なぜ、植物図鑑か』でした。この頃から中平はそれまでの詩的で情緒的なスタイルを否定するようになり、図鑑で使われる図版のように客観的にモノに即した写真を撮るようになっていきます。当時の中平にどのような心境の変化が起こったのかは定かでないのですが、その4年後には急性アルコール中毒が原因となり昏睡状態になってしまいます。なんとか命は取り留めたものの、言語能力と一定期間の記憶障害が残り、日常生活さえも不安視されましたが、以前から通いつめていた沖縄での写真によってどうにか活動を再開。その後は横浜の自宅周辺で似たような被写体を継続的に撮影し、それから晩年まで図鑑的とも反図鑑的ともいえる縦位置のカラー写真が多くなっていき、2015年9月1日に肺炎のため死去。77歳の生涯でした。
そんな中平卓馬にぼくが魅了されたのは『決闘写真論』という1977年に出版された本を読んでからでした。この本は最近亡くなられた篠山紀信が写真を担当し、中平が文章を書いた二人の共著なのですが、文中でフランスの写真家ウジェーヌ・アジェとアメリカの写真家ウォーカー・エヴァンスのことを中平が高く評価していて、中平のその知的な感性に一気に魅了されたのです。この本を読んだ後、赤いキャップをかぶったご本人を何度か見かけたものの、恐れ多くて一度も話はしたことはなかったのですが、初期の荒削りながらザワザワするような写真、鋭い文章や評論文、そして後年の望遠レンズで撮られたカラー写真は今見てもどれも溌剌としていて、国内では他に比べる写真家がいないと言っていいほど、本当に魅力に溢れた写真家であると思っています。
今回の展覧会では、『アサヒグラフ』や『朝日ジャーナル』など、キャリア前半となる1960年代から1970年代前半にかけて発表された作品のほか、カラー写真48点組で構成される幅約6メートルの大作『氾濫』(1974年)、昏倒によって中平のキャリアが中断する以前のまとまった作品発表となった『街路あるいはテロルの痕跡』なども展示されています。中平卓馬という特異な才能と彼が残した作品をもう一度今の時代において問い直し、そして新たな視点で評価するような濃密な内容であり、この展示かそのカタログをできるだけ多くの人に観ていただきたく、それはきっと刺激的な体験となると思うのです。
展覧会情報
「中平卓馬 火―氾濫」
会期:開催中~2024年4月7日
会場:東京国立近代美術館 1F企画ギャラリー
住所:千代田区北の丸公園3-1
https://www.momat.go.jp/exhibitions/556