河内タカの素顔の芸術家たち。
太宰府天満宮の歴史に触発された音響作品を作るスーザン・フィリップス【河内タカの素顔の芸術家たち】November 10, 2025

スーザン・フィリップス Susan Philipsz
1965- / GBR
#144
グラスゴーに生まれ、現在はベルリンを拠点としている。1993年にスコットランドの美術大学で彫刻の学士号を取得。1994年にベルファストの大学で美術学修士号を取得した後、ニューヨーク近代美術館(MoMA PS1)でフェローシップを修了。彫刻家として学位を得て、主に自身の声や音響を録音し、特定の場所で再生するサウンド・インスタレーションで知られる。 グラスゴーの3つの橋の下に設置した作品が評価され、2010年度のターナー賞を受賞。サウンド・インスタレーションで同賞を受賞した初の人物となった。「札幌国際芸術祭2014」と「PARASOPHIA: 京都国際現代芸術祭2015」にも参加した。
太宰府天満宮の歴史に触発された音響作品
スーザン・フィリップス
太宰府天満宮の御祭神である菅原道真は、「学問の神様」であるとともに「文化芸術の神様」として信仰されています。そのような歴史背景を踏まえて、これまで国内外のアーティストたちが太宰府に滞在しながら、取材し制作を行う「太宰府天満宮アートプログラム」を実施してきました。そして、このプログラムの直近の招待作家が、ベルリンを拠点とする現代アーティストのスーザン・フィリップスです。フィリップスは箱根のポーラ美術館に恒久展示されている、11個のスピーカーからフルートの音階を解体し、森に鳴り響かせる《Wind Wood》を手がけたことでも知られています。
1965年にスコットランドのグラスゴーに生まれたフィリップスは、地元の教会の聖歌隊に姉妹で参加したのをきっかけにハーモニーについて知り、進学した芸術大学では主に彫刻を学びました。本来は彫刻家でありながら、音に彫刻的価値を見出した彼女は自身の声や歌を録音し、特定の場所で再生するサウンド・インスタレーションによって、特定の場所にまつわる記憶を再認識させるような芸術活動を長く行ってきました。
そんなフィリップスの代表作のひとつが、2010年のターナー賞*1受賞作となった《Lowlands》です。愛を失い川に身を投げた一人の女性への鎮魂が込められた作品で、16世紀から伝わるスコットランドのバラードの3つのバージョンを自身が歌い録音し、グラスゴーにかかる橋の下にスピーカーを設置して流したのです。歌は同時に始まり、曲が進むにつれて少しずつずれていくも、最後は1つの声となるというものでした。囁くようなフィリップスの歌声が、アーチ橋による音響特性により増幅され、川の音と共鳴することで、そこで起こった出来事を呼び起こすような効果が話題となりました。
自ら歌うフィリップスですが、正規の音楽教育は受けておらず、実は楽譜の読み書きもできないそうです。しかしそのことが作品にとって重要な要素となっているといい、英国紙ガーディアン(2014年4月11日付)に以下のように語っています。「誰もが人の歌声に共感できます。伴奏のない歌、特に訓練を受けていない歌声を聞くと、知らない曲であっても、なにかしら記憶や連想を呼び起こすことがあります。もし私が適切な音楽の指導を受けていたなら、おそらく今のような形態の作品にならなかったはずです」。自分の素朴な歌い方が作品を豊かにし、観客にもより響くと感じているというわけです。
今回の太宰府天満宮での展示は、屋外と屋内の2ヶ所で行われています。境内の緑深い森に設置されたサウンド・インスタレーション《The Trees Listen》は、法螺貝の異なる8つの音色が木に設置されたスピーカーから朗々と森に鳴り渡るというものです。ギリシア神話の北風の神であるボレアースが、突風をコンク貝から吹き出すことに発想を得たそうですが、日本では主に山伏たちが合図や連絡に使うことで知られる法螺貝の低音が、森や風のざわめき、風虫や鳥の鳴き声と重なり合い、鑑賞者たちに静かな瞑想と思索を促します。そしてタイトルの「木が音を聞く」には、おそらく「自然の静寂や人知れぬものの声に耳を傾ける」といったニュアンスも含まれているはずです。
宝物殿に展示されている《Shine on Me(私を照らして)》は、「サウンドミラー」*2として知られる音響探知装置に着想を得た作品で、凹凸面を持つ3つのパラボラ鏡が吊り下げられ、それぞれが異なる速度で回転しながら、古典的な旋律が静かに聞こえてくるという作品です。音源は太宰府天満宮の七夕祭で奉納された囃子唄(はやしうた)をフィリップスが録音したもので、その時に祭壇に祀られていた鏡がインスピレーションとなったと聞きました。神道において鏡は太陽の光を思わせる神聖な象徴であり、目に見えない神の御霊を宿す「依代(よりしろ)」とされていますが、フィリップスは太陽と月をイメージし表面を金と銀に加工し、神道の象徴性を取り入れることによって、太宰府天満宮の歴史や記憶を内包させようとしたのかもしれません。
室内や屋外に音響を設置し、音を使った芸術の可能性を探求するフィリップスのユニークなところは、特定の場所に起因する環境音と歌声を組み合わせたことにあります。グラスゴーのブリッジ橋、あるいは太宰府や箱根の森にまつわる古い歌や音源を、自然が奏でる音と重なり合わせることで、建築物や自然への意識などを高める効果を観客に促すのです。このように、展示が行われる場所の歴史や記憶を再認識させるフィリップスのサウンド・インスタレーションは、人と場所を「音」でつなぐコミュニケーション的な芸術表現ともいえるのかもしれませんね。
1. ロンドンのテート美術館が組織する現代美術のアーティストに授与する賞。50歳以下のイギリス人、およびイギリス在住アーティストのなかから、過去1年間にイギリス現代芸術に最も大きな貢献をしたアーティストに与えられる。
2. 第一次世界大戦中、イギリス軍がドイツ軍機の接近を音によっていち早く察知するために開発した、コンクリート製の音響反射板のこと。

『The Distant Sound』(Art and Theory Stockholm AB)スーザン・フィリップスの作品の中で地理的に最も広範囲にわたるプロジェクトを豊富な図版と共に収めた一冊。世界遺産グリメトン無線局からのアナログ放送を通じて、デンマーク、スウェーデン、ノルウェーの3ヶ国に響き渡らせたもの。
展覧会情報
『太宰府天満宮アートプログラム vol.12 スーザン・フィリップス「Shine on Me」』
会期:〜 2026年5月10日(日)まで開催中
※11/24、1/5、1/12、2/23、5/4を除く月曜、および2/3-2/4休館
開館時間:9時~16時30分(入館は16時まで)
会場:太宰府天満宮宝物殿 企画展示室および境内
住所:福岡県太宰府市宰府4-7-1
https://keidai.art/event/1099
平成18年(2006)から続けてきたアートプログラムの第12回展。スーザン・フィリップスは2024年から2度にわたり太宰府を訪れ、1,100年を超えての信仰と文化を育んできた天満宮の森、神事、御祭神である菅原道真の生涯や詩歌に触発された新作を展示。
文/河内 タカ
高校卒業後、サンフランシスコのアートカレッジに留学。NYに拠点を移し展覧会のキュレーションや写真集を数多く手がけ、2011年長年に及ぶ米国生活を終え帰国。2016年には海外での体験をもとにアートや写真のことを書き綴った著書『アートの入り口(アメリカ編)』と続編となる『ヨーロッパ編』を刊行。現在は創業130年を向かえた京都便利堂にて写真の古典技法であるコロタイプの普及を目指した様々なプロジェクトに携わっている。この連載から派生した『芸術家たち 建築とデザインの巨匠 編』(アカツキプレス)を2019年4月に出版、続編『芸術家たち ミッドセンチュリーの偉人 編』(アカツキプレス)が2020年10月に発売となった。





























