河内タカの素顔の芸術家たち。
長く忘れ去られていたダダの芸術家 ゾフィー・トイバー=アルプ【河内タカの素顔の芸術家たち】April 10, 2025

ゾフィー・トイバー=アルプ Sophie Taeuber-Arp
1889-1943 / CHE
No. 138
スイス東部の山岳地域ダボスに生まれ、のちに夫となる芸術家のハンス・アルプと出会った後に、チューリッヒのダダイスム運動に参加。芸術家活動のほかに、人形制作や舞台衣装のデザインを手掛け、美術工芸学校で教師を14年間務める。1920年代後半からは構成主義的デザインによるインテリア作品を手がけ、自ら設計したスタジオで精力的に多岐にわたる仕事をする。2021年にロンドンと翌年にニューヨークで「リビング・アブストラクション」が開催されるや再び脚光を浴び、今回の展示でもトイバー=アルプの貴重な作品45点が展示されている。ちなみにスイスでは50スイスフラン紙幣に肖像画が印刷されているほど誰もが知る有名人である。
長く忘れ去られていたダダの芸術家
ゾフィー・トイバー=アルプ
「トイバー=アルプは、ほぼ単純な形と幾何学的な形だけを使い色彩のレリーフによって表現する。そこには控えめで静けさがあり、まるでささやくような小さな声であるが、大きな声で叫ばれるよりもよっぽど表現力が豊かで説得力もある」 ー ワシリー・カンディンスキー
テキスタイルを芸術として提示したアーティストといえば、ジョセフ・アルバースのパートナーであったアニ・アルバースのことをまず思い起こします。また、ハーマンミラー社のデザインディレクターであったアレキサンダー・ジラードも芸術クラスの優れたテキスタイルを数多く世に送り出しました。そしてもう一人、手芸や織物、ビーズ細工をアート表現としていち早く取り組んだのが今回紹介するゾフィー・トイバー=アルプです。芸術家のハンス・アルプとの結婚後、二人共同での作品も多く残したほか、チューリッヒのダダイスム(芸術における伝統的な価値観を解体し、新しい形式を作り出すことを目的とした運動)の中心的存在としても活躍しました。
若い頃から多才だった彼女は、テキスタイルのみならず、モンドリアンやカンディンスキーと並んで最初に抽象絵画を始めた一人としても知られています。さらに彫刻家、建築家としても活動しながら、チューリッヒ応用芸術学校で教え、ダンサーとして振り付け・出演し、演劇用あやつり人形の制作、建築、家具デザイン、アート雑誌やアートブックの出版も行うなど、美術や工芸、デザインや建築のボーダーを飛び越えて多角的な活動を行なったスーパーウーマンだったのです。
ゾフィー・トイバーは薬剤師の子供としてスイスの山々に挟まれたダボスに生まれました。テキスタイル・デザインを学んだ後、バウハウスが創設される以前にミュンヘンとハンブルグの芸術工芸学校に学びながら、同時に舞踊学校に通うなど、当時から彼女の興味はアート、デザイン、ダンス、演劇と多岐に渡っていました。そして26歳の時、チューリッヒのアートギャラリーで行われた展覧会でジャン・アルプに出会い結婚、姓もトイバー=アルプとなり、ダダのムーブメントに深く関わるようになっていきます。夫のジャンにとっても、この結婚は自身の芸術的な方向性を定めるものとなりました。
詩人のトリスタン・ツァラらと共にチューリッヒ・ダダイスム宣言をした数年後、トイバー=アルプは最も有名な作品となる《ダダの頭》(1920年)を制作します。帽子職人が使うような木型の楕円形を色付けし、ビーズの飾りが付けられて彩色されたこの作品は、工芸と美術の境界に取り組んだ象徴的なものとして知られています。この作品の他にも《抽象的なモティーフによる構成(手帳カバー)》で装飾的なグリッドによる抽象表現を試みたり、《帯状のニードル・レース》はレースで編み込んだ抽象的なパターンを横長につなぎ合わせたりと、工芸や手芸による表現の可能性を広げました。
1940年、ナチス占領前にパリから逃れて南フランスに移り住み、その地で芸術コロニーを作るも、さらに戦禍が激しくなっていきスイスへの亡命を余儀なくされます。そして運命の日となる1943年1月13日、トイバー=アルプは最終の電車に乗り遅れたため、知人で芸術家であるマックス・ビルの雪に覆われた別荘で一晩過ごすことになります。しかしストーブを誤って操作してしまい、一酸化炭素中毒によって53歳で亡くなってしまうのです。彼女の不慮の死は夫ハンスを極度の鬱病に陥らせ、それからの彼は修道院にこもって約4年間にわたりドローイングやコラージュ、少数のレリーフの制作を行っていたものの、立体の制作を絶ってしまいます。しかし周囲の助けもあり、戦後になってようやく制作を再開していきました。
活動を再開して名声を回復した彼とは対照的に、トイバー=アルプはというと、古典的モダニズムを代表する前衛芸術家であったにもかかわらず次第に忘れ去られていき、その革新性は長く評価されることがありませんでした。ところが没後70年の歳月が流れ、テート・モダンやMoMAでの大きな展覧会で総括的に紹介されるや、一転して20世紀の幾何学的抽象芸術の最も重要なアーティストの一人とみなされるようになったのです。生前トイバー=アルプはこう語っていたそうです。「自分自身に向き合い、自分自身に完全に忠実であろうと努めるときにのみ、価値のあるものを作ることができるのです」と。

『「ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ」展 カタログ』(公益財団法人石橋財団アーティゾン美術館)二人の歴史を辿るとともに、豊富な作品群を丁寧に解説する一冊。
展覧会情報
『ゾフィー・トイバー=アルプとジャン・アルプ』
会期:開催中〜2025年6月1日(日)
休館日:月曜日(5月5日は開館)、5月7日
会場:アーティゾン美術館 6階展示室
住所:東京都中央区京橋1-7-2
https://www.artizon.museum