河内タカの素顔の芸術家たち。
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ピート・モンドリアンPiet Mondrian / April 10, 2021
調和を表現するために抽象へ向かった画家
ピート・モンドリアン
ピート・モンドリアンといえば、水平・垂直の直線と三原色から成る「コンポジション」という絵画をまず思い浮かべる人が多いはずです。しかし、そのような作風になる以前は、写実的な風景画や繊細な静物画を描いていたことで知られ、オランダ生まれということも関係しているのか、ゴッホに近い風景画も残しているのです。そんな初期の頃の貴重な作品を、現在SOMPO美術館で行われている、日本では23年ぶりとなるモンドリアン展で多く観ることができます。
今回の展示からもわかるのですが、モンドリアンの画力は職人的ともいえるほど高く、特に田園風景や樹木や灯台など、描こうと思えば写実的な絵はなんなく描けるということがわかります。また、展示には含まれていない淡い色調で描かれた花の絵にいたっては、単に生活を支えるために継続的に描かれていたといいます。しかし、もし売れ路線の絵ばかりを描いていたならば、モンドリアンの名前は後世に残らなかったはずです。つまり、彼の中で常に熱く湧き上がっていた「純粋なリアリティの表現」を追い求め続けたことによって、結果的に20世紀芸術の中でももっとも高い位置にいる絶対的な存在になっていったというわけです。
モンドリアンが抽象画に突き進んでいくきっかけを作ったのが、ピカソやブラックが始めた「キュビスム」でした。1912年から1914年までパリに滞在したモンドリアンは、彼より若かったピカソらが始めたこの動きにすぐに反応するや、キュビスムのさらに一歩先を目指し、抽象表現の可能性の探求に明け暮れるようになっていきます。画家というより化学者か銀行家のような容貌のモンドリアンは、かなりの几帳面であったと察せられるのですが、そんな彼の探求と研究はそれからさらに深化していくことになりました。
モンドリアンにとっての理想的な絵は、従来の絵にある空間や奥行きを取り除き、完全なる「平面」である必要がありました。それに加えて、とにかく「純粋な抽象芸術」でなければならないというのが、彼が自らに課した高いハードルでした。しかも慎重なモンドリアンは、具象から抽象に一気に方向転換したわけではなく、例えば、枝が広がる樹木を抽象化していく過程を段階的に残していて、その変容の様子はまるで彼の心象の移り変わりが反映されているかのようになっていたりするのです。
さて、モンドリアン作品の大きな特徴の一つには「調和」という要素があり、初期の風景画にしろ、花の絵にしろ、抽象化していく時も、ほぼすべてが例外なく均整のとれた調和を目指して描かれているように見受けられます。さらに“冷たい抽象”と言われる「コンポジション」シリーズにおいても、使用する色を限定し、黒い上下左右の直線によって作られる四角形や長方形をどのように配置すればいかに調和が保たれるかをストイックに探り求めていたと考えられるわけです。
色むらやはみ出した部分が一切ない、厳密なグリッド状をしたピュアな抽象絵画は、やがてモンドリアンの代名詞として知られるようになっていきます。しかしながら、そのような極端ともいえる作品が理解され売れていたわけではなく、初めてモンドリアンが個展を行ったのは、なんと彼が70歳になってからのことだったのです。それでも、彼の画家としての人生はとても充実していただろうなと思えるのは、晩年にニューヨークへ移住し、それまでの集大成となる『ブロードウェイ・ブギウギ』を完成させることができたからで、それを観ると彼の画家人生は結局あの作品を生むための助走だったのだと思えてしまうほどです。
ヨーロッパ時代の厳格で禁欲的なイメージがだんだん陰をひそめ、それまで固執していた黒色も排除したことで、活気ある当時のニューヨークに感応された楽しげで明るい画面になっていったことは、彼にとって救いだったのかもしれません。その作風からかなりお堅い印象がもたれがちですが、意外にも夜な夜なダンスに出かけ、ジャズやポピュラーソングが大好きだったらしく、そのことを知った後で再び同じ作品を観ると、意外にも計算や理論だけではなく動作やリズムといった体感や音感も作用しているのかもと思えてきて、モンドリアンという人に少なからず親近感を抱くようになってしまったのでした。
展覧会情報
「生誕150年記念 モンドリアン展 純粋な絵画をもとめて」
会期:2021年3月23日~2021年6月06日
会場:SOMPO美術館
http://www.sompo-museum.org/exhibitions/2020/mondrian/