河内タカの素顔の芸術家たち。
河内タカの素顔の芸術家たち。
丹下健三KENZO TANGE / September 10, 2021
日本の近代建築を世界的レベルに引き上げた
丹下健三
つい最近、ニューヨーク・タイムズ・スタイル・マガジンによる「戦後建築で最も重要な25の作品」という特集で、建築家の丹下健三が設計した「香川県庁舎」(1958年完成)が、日本からの唯一の建築作品として選出されたという記事を読み、感慨深いものを感じました。というのも、コンクリート打ちっぱなしの高層棟と3階建ての低層棟からなる香川県庁舎は、ベランダの直線的に連なるファザードや梁において、伊勢神宮や桂離宮といった日本の伝統的木造建築の要素を現代的に取り入れた画期的な名建築であり、それを今の時代に海外の視点から高く評価してくれたからです。
そして、この香川県庁舎よりも3年早く完成したのが、丹下の実質的なデビュー作品である「広島平和開館原爆記念陳列館(現・広島平和記念資料館)」でした。ピロティで高く持ち上げられた横長に延びる力強い姿は、戦後の復興を象徴的に表したものだったのですが、それに加えて、広島の市街地を十字型に貫くという大胆なプラン、さらには後に世界遺産に登録されることになるあの原爆ドームを残すことを提案したのも実は丹下だったと言われています。
1960年代に入ると丹下の勢いは止まらず、未来を見据えた都市計画的な建築が多くなっていきます。その代表作が、前回の東京オリンピックに向けて建造された「国立代々木競技場」と、同年に完成した「東京カテドラル聖マリア大聖堂」でした。吊り橋で使われる「吊り構造」が使われた国立代々木競技場は、1本、または2本の主柱にケーブルを渡し屋根全体がテントのようにつり下げられているため、その内部は柱のない吹き抜けの大空間になっていて、障害物なく競技を観戦できるという、超がつくほどの画期的な工法が実践されていました。
一方のカテドラルはというと、外壁がすべてステンレスとアルミニウムサッシで覆われていて、「これが教会なのか!」と思ってしまうほどの圧倒的な存在感を放っています。さらに、聖堂内に一歩足を踏み入れるや、今度は重厚なコンクリート打放しの壁に囲まれた礼拝堂と、その頂部において十字架型の光がスリットの間から漏れてくるという斬新な造りになっているのです。この二つの創造性豊かなモニュメントは、当時の最先端の構造技術を注ぎ込んだ建築物として、国内はもとより世界中の建築界に大きな衝撃を与えたに違いありません。
1950〜60年代における丹下作品の多くは、ル・コルビュジエやオスカー・ニーマイヤーらからの影響があるものの、前述したように日本の伝統建築からのインスピーレションを多く取り入れていたことがユニークなところでした。戦後の日本建築が世界において高く評価されるようになったのも、「世界の丹下」と呼ばれ他の誰よりも早くから国外で活躍の場を広げ、国家的レベルともいえるプロジェクトを数多く手がけたこの建築家の功績があったからと言っても過言ではないはずです。
その丹下が建築家の中で誰が一番好きなのかと問われた時、意外にも「ル・コルビュジエよりもミケランジェロの方が上だ」(丹下健三・藤森照信 『丹下健三』 新建築社、2002年)と答えたそうです。なぜ近代建築家でなくミケランジェロだったのでしょうか? それはおそらく、ルネサンス期の芸術家たちが、絵画や彫刻だけに止まらず、建築や都市計画を含めた総合芸術を目指していたからで、そのもっとも象徴的な存在であったミケランジェロこそが、丹下にとって理想とした人物だと考えていたかもしれず、その崇高な目標は超えられたのではないかとぼくには思えるのです。
展覧会情報
「丹下健三 1938-1970 戦前からオリンピック・万博まで」
会期:10月10日(日)まで開催中
会場:文化庁国立近現代建築資料館
住所:東京都文京区湯島4-6-15 湯島地方合同庁舎内
https://tange2021.go.jp