河内タカの素顔の芸術家たち。
河内タカの素顔の芸術家たち。
吉田博Hiroshi Yoshida / March 10, 2021
山と旅を愛し独自の版画スタイルを築き上げた
吉田博
上野公園内の東京都美術館で現在展覧会が行われている吉田博は、日本人画家の中でもわりと珍しいタイプでないかと思います。というのも、ジェームズ・マクニール・ホイッスラーの風景画やヨーロッパのロマン派の影響が感じられる独自の画風を、画家でありながら日本の伝統的な木版画技法を用いて、新たな表現として展開したことで知られているからです。
吉田のキャリアがまずユニークなのは、当時の日本の洋画家たちがこぞって芸術の都パリを目指したのに対し、23歳のときにアメリカへと向かったことです。日本でデトロイト在住のコレクターと知遇を得ていたのが、そもそもの渡米のきっかけだったといいますが、ヨーロッパではなくアメリカに向かったことで、その後の吉田の運命は大きく変わっていくことになるのです。
それまで描きためていた水彩画をアメリカへ持参した吉田は、デトロイト美術館の館長にそれを見せる機会を得るや、その超絶的ともいえる美しい作品で彼を圧倒します。その後、共に渡米した中川八郎との二人展を企画され、なんと作品が飛ぶように売れたのです。そして、次に赴いたボストンでも美術館展を行うと、吉田の評判は一躍知られていくようになっていきます。それによって得た予想外の資金を使いイギリス、フランス、ドイツ、イタリアなどを巡歴。そしてアメリカにいったん戻り、25歳の時に帰国しました。
吉田博の作品にまず惹かれるのは、印象派とも伝統的な日本美術とも一線を画した独自のスタイルであるところです。画家自らがいろいろな名所に赴き、そこで早描きした写生をもとに制作された作品は、透き通るような画面、そして写実性が一際高い緻密な画面構成に感嘆せざるを得ません。前述したホイッスラーやアメリカ近代美術の父とも言われるトマス・エイキンス、またはドイツロマン派の雄であるカスパー・ダヴィッド・フレデリッヒをも彷彿させるほどのその凄みは、“吉田こそが日本における洋画家の真のパイオニア”だと個人的には思っているほどです。
彼は春から夏にかけて登山や旅行に出かけてはスケッチを描き溜め、秋から冬にかけて油絵や版画制作に没頭していたといいます。自然、特に山岳を題材した作品を多く残しているのは、吉田が「自然のなかにこそ美がある」と考え、崇高な自然界の美を絵や版画によって伝えることを自分の使命としていたからです。その場所の空気さえも内包したような色彩や構図は、実際に頂上や峰まで登り、その場に立ったものでなければ描けないような光や雲や大気の描写であるのは明白です。その一方で、海や川や湖といった水の作品も見事で、木版画としては特大版の『渓流』(1928年)などは、じっと見ているとまるで水が流れているように感じてしまうほど臨場感のある圧倒的な表現力と画力に唸ってしまうのです。
国内はもとより海外へも出かけていくほど無類の旅好きだった吉田は、アメリカ、ヨーロッパ、インドやエジプト、そして国内では富士や日本アルプスといった日本の山岳、穏やかな瀬戸内海を美しい版画作品として残しました。人物の描写も行ってはいたものの、やはり雄大な自然や名所の描写が彼の真骨頂で、例えば海に浮かぶ『帆船』シリーズにみられるように、同じ版木を用いて刷る色を替えることで、刻々と変化する光の移り変わりを表わしました。加えて、繊細なグラデーションや細部までのディテールの美しさは、30回から場合によっては100回近くも版摺りを重ねた結果に生まれたものでした。
若い時から多くの渡航経験を通して最新の欧米絵画の流れを早々と会得していた吉田博は、登山と旅にも情熱を傾け続け、当時の日本人としてはかなり珍しい画家人生を送りました。自然の懐に入り込みそこで体得した自然観と、欧米の専門家たちをも驚嘆させた技術によって制作された彼の版画作品は、長い間、日本よりも海外において高く評価されていたそうです。ともかく、生涯に渡ってあくなき探究心をもって、新しい木版画の創造のために大きく貢献した吉田博という画家は、まさに「名匠」という言葉が似合う芸術家だと思うのです。
展覧会情報
「没後70年 吉田博」展
会期:2021年1月26日(火)~2021年3月28日(日)
会場:東京都美術館
https://yoshida-exhn.jp