河内タカの素顔の芸術家たち。

音を視覚化した幻想的な絵画を描いた チュルリョーニス【河内タカの素顔の芸術家たち】April 10, 2026

音を視覚化した幻想的な絵画を描いた チュルリョーニス【河内タカの素顔の芸術家たち】

ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニス  M.K. Čiurlionis
1875–1911 / LTU
No. 149
ワルシャワ音楽院やライプツィヒの音楽院で学び、当初は作曲家として活動。代表作に交響詩「森の中で」や「海」などがあり、リトアニア近代音楽の先駆者とされている。20代後半から本格的に絵画を学び始め、音楽の構造やリズムを視覚化した独自の作風を確立。世紀末の象徴主義、アール・ヌーヴォー、ジャポニスムなどの影響を受けつつ、リトアニアの民俗や宇宙の神秘、精神世界をテーマに据えた唯一無二の世界観を築いた。

音を視覚化した幻想的な絵画
チュルリョーニス

 ヨーロッパのバルト三国の南端に位置するリトアニアは、豊かな森と3,000以上の湖を持つ自然豊かな国です。リトアニア、エストニア、ラトビアからなるバルト三国の中では最も大きく、中世の面影を残す世界遺産の首都ヴィリニュスや、琥珀の一大産地、そして第2次世界大戦中にリトアニアの日本領事館にて杉原千畝が命のビザを発行したことでも知られます。

 リトアニアのことは個人的にほとんど何も知らなく、かろうじて映像作家で詩人のジョナス・メカスがこの国の出身だというくらいの知識しかありませんでした。そのリトアニアを代表する国民的芸術家が、ミカロユス・コンスタンティナス・チュルリョーニスです。日本では34年前にチュルリョーニスの展覧会が行われたそうですが、この画家のことはおそらくアート好きな人でも知る人はそれほど多くはないはずです。

 1875年に生まれ、オルガン奏者の父の影響から、幼少の頃から音楽の才能を示したチュルリョーニスは、最初は作曲家としてキャリアを始め、次第に画家としての道を歩み始めます。音楽と絵画という2つの分野で優れた才能に恵まれ、400作にのぼるピアノ曲や管弦楽曲など音楽作品を残し、同時に300点を超える絵を残したものの、過労と病のためわずか35歳で亡くなり、絵画制作の期間もわずか6年ほどでした。

 チュルリョーニスがモチーフとしたのは、リトアニアの自然や民話、山岳風景、季節の移ろい、宇宙空間、精神世界などで、その写実的でない象徴的で抽象性の強い作品は、これまで実際あまり見たことのないようなものばかりです。地球ではない惑星、あるいは天空から見た幻想的な光景というか、絵であるのにイメージが静かにゆっくりと動いているようでもあり、色彩と形が織りなす厳かなリズムが、まるで宇宙の音楽を聴いているかのような不思議な感覚を鑑賞者に与えるのです。

 チュルリョーニスの絵画には、「ソナタ」や「プレリュード」といった、クラシック音楽における楽曲の形式や構成を示す用語をタイトルにしている作品が多くあります。ソナタは「奏鳴曲」、プレリュードは「前奏曲」ですが、音楽をテーマにしたのではなく、フーガ(1つの旋律を複数のパートが次々と追いかけ合う音楽形式)といった「音楽の構造」そのものを、旋律のような曲線、和音のような色の重なりを用いて、目に見えない「音」の広がりを画面上で表現しようとしたのです。この時間の流れを絵画の中に閉じ込める試みは、画家と作曲家の両面で非凡な才能を発揮したチュルリョーニスならではの極めて独創的な芸術表現といえそうです。

 そしてチュルリョーニスの功績としてもう一つ驚くべきことがあります。彼はワシリー・カンディンスキーらに先んじて抽象的な表現を試みた「世界最初の抽象画家の一人」と評されることもあるのです。しかもその取り組みが、近年センセーションを巻き起こしたスウェーデンの女性画家ヒルマ・アフ・クリントとほぼ同時期だったというから驚きです。テンペラ技法(顔料を主に卵黄で溶いて描く画法で、アンドリュー・ワイエスなども好んでいました)で描かれた絵画は、水彩や油彩とは異なる独特の乾いた質感と抑えた色彩が、この画家の世界観にマッチしていて作品をより個性的にしています。

 今回の展示で特に惹かれた《リトアニアの墓地》(1909年)は、リトアニア固有の木で作った屋根付きの十字架の黒いシルエットが、人のいない夜の濃紺の墓地に並んでいるという作品です。ストライプの帯のように描かれた緑がかった夜空には、魂の道標として北斗七星が描かれているのですが、自然崇拝や祖霊信仰が長く残っていたリトアニアでは、古来からの記念柱がキリスト教の象徴と融合して十字架が作られていったそうで、リトアニアの民族的な記憶と祈りの場として、チュルリョーニスはこの作品を描いたと推測されます。

 当時、世界的に流行していた神智学や天文学にも大きな関心を持ち、次第に人の精神世界や宇宙の謎に迫るような壮大かつ普遍的なテーマにも及んでいったチュルリョーニス。18世紀末以来、ロシア帝国の支配下にあった当時のリトアニアにおいて、リトアニア固有の伝統やアイデンティティや民族文化を作品に反映させたとして、今も母国で愛され語り継がれていますが、再評価の機運が高まる中、今後世界的に知られていくことになるという予感しかしないのです。

Illustration: SANDER STUDIO

『「チュルリョーニス展 内なる星図」公式図録』(国立西洋美術館/西洋美術振興財団)。貴重な論考をはじめ、国立M. K. チュルリョーニス美術館が所蔵する絵画、版画、素描など約80点の図版を収録。

展覧会情報
「チュルリョーニス展 内なる星図」
会期:2026年6月14日(日)まで開催中
会場:国立西洋美術館 企画展示室B2F
住所:東京都台東区上野公園7-7
お問い合わせ:050-5541-8600(ハローダイヤル)
https://2026ciurlionis.nmwa.go.jp
リトアニアの国立M. K. チュルリョーニス美術館が所蔵する主要な絵画・グラフィック作品約80点が来日。日本初公開となる《祭壇》や大作《レックス(王)》などの貴重な作品が展示されている。


文/河内 タカ

高校卒業後、サンフランシスコのアートカレッジに留学。NYに拠点を移し展覧会のキュレーションや写真集を数多く手がけ、2011年長年に及ぶ米国生活を終え帰国。2016年には海外での体験をもとにアートや写真のことを書き綴った著書『アートの入り口(アメリカ編)』と続編となる『ヨーロッパ編』を刊行。現在は創業130年を向かえた京都便利堂にて写真の古典技法であるコロタイプの普及を目指した様々なプロジェクトに携わっている。この連載から派生した『芸術家たち 建築とデザインの巨匠 編』(アカツキプレス)を2019年4月に出版、続編『芸術家たち ミッドセンチュリーの偉人 編』(アカツキプレス)が2020年10月に発売となった。

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