河内タカの素顔の芸術家たち。
木や鉄をそのまま床に置いた芸術作品 カール・アンドレ【河内タカの素顔の芸術家たち】Carl Andre / May 10, 2024
木や鉄をそのまま床に置いた芸術作品
カール・アンドレ
「木は木として、鉄は鉄として、アルミはアルミとして、そして一梱(ひとこり)の干草は一梱の干草として提示したい」と考えていたのが、ミニマル・アートを代表するアーティスト、カール・アンドレです。
アンドレの作品は、角材、鉄、銅板、石などをあらかじめ切断してもらい、それらを床にむき出しのままグリッド状に並べたり反復させたりするのが大きな特徴です。なぜそのような極端な作風になったのか? それを理解する鍵として、二人のアーティストとの出会いがありました。最初の一人が20世紀を代表する彫刻家のコンスタンティン・ブランクーシです。アンドレがニューヨークに住み始めた1950年代にブランクーシを紹介され、同じ形の立体を数珠のように垂直に繋げたブランクーシの『無限柱』という作品が、若きアンドレにインスピレーションを与え、鑿(のみ)で木に切れ込みを入れた『ピラミッド』という作品を生むきっかけとなるのです。
ブランクーシは、ミニマリズム系のアーティストたちにとって源泉のような存在でした。ダチョウの卵のようなのっぺりとした人の頭部や、鳥を表現するべく流線型のような彫刻など、余分なものを省いていくことで究極の造形を生みだしたのがブランクーシという彫刻家でした。切り出したままの素材を極力シンプルに使ったその後のアンドレの作品が、ブランクーシ作品から派生したことには妙に納得してしまうのです。
そして、アンドレに影響を与えたもう一人のアーティストが画家のフランク・ステラでした。彼らはマサチューセッツ州の名門ボーディングスクールで知り合い、その後ニューヨークでスタジオを共有していた時期がありました。まだ大学を出たばかりの若きステラが、黒いペンキのみを使って画面全体をストライプで埋め尽くす『ブラック・ペインティング』を制作する姿をアンドレは間近で観察しながら、当時の自身の心境をこう語っています。「僕に影響を与えたのはステラの絵の見た目ではなく、彼の絵画に対する姿勢だった」と。ステラの黒のストライプをただただ繰り返して描くという姿勢が、その後のアンドレにかなり明確な方向性を示唆してくれたのです。
ステラから重要なものを学び取ったアンドレは、木工道具を使い木の梁の片側に彫り込みを入れた『梯子』という作品を制作。続く作品が前述した『ピラミッド』で、それは同一の木の梁を重ね長さが徐々にピラミッド状になっていくという作品でした。その当時はまだ道具を使って彫ったり削ったりしていましたが、やがて指示通りにカットしてもらった木材や鉄板を幾何学にアレンジして床に置き、単純なユニットを反復する彼の代名詞となる作品を打ち出していくことになるのです。
同時期に活動をしていたドナルド・ジャッドやダン・フレイヴィンが、最初は画家としてスタートしたのに対して、アンドレは最初からずっと彫刻家であり続けました。つまりアンドレは色や平面性に関して考察する必要がなく、壁面に絵をどう掛けるかも考える必要がなかったのです。アンドレがアート界を一際驚かせたのが、鋼鉄製板の作品の上を観客たちが自由に歩くことを推奨した時でした。これは作家のコントロールから離れ、視覚だけでなく、観客が自らの身体を使って作品を意識するという、従来のアート体験とは異なる提示の仕方でした。さらに“場としての彫刻” として、展示会場の広さに応じて作品の形態を変えるといったラジカルなアプローチを行ったのです。
そんなアンドレは1960年から1964年まで貨物鉄道の車掌と制動手の仕事していた時期がありました。アート活動とは関係ない肉体労働と列車をコントロールするという秩序だった仕事は、アンドレの思考やアートへのアプローチに影響を与えたと言われています。実はその頃の名残からか、最もフォーマルなパーティーの席でさえ、アンドレは着慣れたデニムのオーバーオールとワークシャツを着て現れていたそうです。そのような話を聞くと、素っ気なく無機質というより、どこか大らかさや人間味が感じられるアンドレの作品と彼の人柄にますます惹かれてしまうのです。
展覧会情報
「カール・アンドレ 彫刻と詩、その間」
会期:開催中~2024年6月30日 (休館日:月曜)
会場:DIC川村記念美術館
住所:千葉県佐倉市坂戸631
お問い合わせ: 050-5541-8600(ハローダイヤル)
https://kawamura-museum.dic.co.jp/art/exhibition/