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聖性のかけらを探している。連載コラム : 山内朋樹 #2December 10, 2024
「床の間をとり払って子どもたちの勉強机をつくりつけました」——とある住宅を案内してもらったとき、工務店の担当者はそう言った。
もちろん彼に悪気はないし、狭い間取りをうまくやり繰りした空間の解法はうまく機能していて、古い客間と居間を統合した大きな居間は家族の生活をうまく包み込んでいた。
けれども、なにか違和感を感じてしまう。もちろんそれは工務店だけでなく施主側も望んだことだと思われるし、ぼくにしてもそうしてしまうだろうとは思うけれど、かつて床の間——あるいは神棚や仏壇——という不可視の力を重視していた家は、いまやソファ群の配置からしてスマートテレビのモニターを中心に組み立てられている。いまにはじまったことではないのだが。
合理的な居住空間としてすみずみまで透明化された現代の住宅はたしかに便利で広い。けれどもそこから、聖域は消えてしまった。
炊きたてのご飯をまずは仏壇に供えていた曾祖母や祖母を思い出す。あの非合理なふるまい。人が自由に使うことのできない一画が住宅のなかに挿入されている。不透明な力に動かされる人々を身近に見て、それに巻き込まれる。
神も仏も駆逐された住宅のなかで、どこかに聖性のかけらを探している。透明な合理性から隔離された張り詰めた空間を。
薪ストーブや暖炉のような火に憧れるのもそういうことなのだろうか。それは聖性のかけらであり、現代のカルシファーなのだ。広い窓台に先祖の写真が並べ置かれる海外の住宅。それは祭壇のかけらである。光を漂わせるだけの空虚な白い壁面、使いようのない階段脇の空間に小さな花瓶。床の間の現代的解釈。
edit: Sayuri Otobe
美学者・庭師 山内朋樹
1978年兵庫県生まれ。京都教育大学教員・庭師。専門は美学。在学中に庭師のアルバイトをはじめて研究の傍ら独立。制作物のかたちの論理を物体の配置や作業プロセスの分析から探究している。著書に『庭のかたちが生まれるとき』(フィルムアート社、2023年)、共著に『ライティングの哲学』(星海社、2021年)、訳書にデレク・ジャーマン『デレク・ジャーマンの庭』(創元社、2024年)、ジル・クレマン『動いている庭』(みすず書房、2015年)。