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すばらしき「ハトヤ芝居」 その1。 連載コラム : 三浦哲哉 #1January 09, 2025
え、それよく見ると自分でやってるだけですよね?!という、映画の中の一場面がたまらなく好きだ。私はそれを勝手に「ハトヤ芝居」と名付けている。
どういうことか説明したい。「ハトヤ」というのは、伊東にある温泉旅館のハトヤのこと。そのテレビCMに、少年がぴちぴち跳ねる活魚を胸に抱きかかえようとして逃げられる、とても印象的な一コマがある(知らない方は「ハトヤ+魚」で動画検索してください)。
で、「ハトヤ芝居」というのは、それをあくまで演技で再現しようとするムーブのこと。魚であれば、死んだ魚をあたかも活魚であるかのようにぴちぴち跳ねさせてみせる芝居である。魚でなくとも、活きていないもの、動いていないものを、あたかも活きたり動くものにしてしまう同様の動作をすべて一括りに「ハトヤ芝居」と私は呼んでいる。
そのものずばりの典型例がある。ドキュメンタリー映画の巨匠、ロバート・フラハティの名作『アラン』(1934)の一場面だ。舞台はアイルランドの沖合に浮かぶ絶海の孤島。この島の断崖絶壁のてっぺんで、一人の少年が釣りをし、何十メートルも下の海から一匹の魚を釣り上げる。釣り上げられた魚は少年の手の中でぴちぴち跳ねる!……かのように見えて、あれ、この魚ほぼ死んでいないか? 少年が大げさに活きのよいように見せているだけだ!……となる。
それがたまらなくいい。
フラハティの作品はドキュメンタリーでありつつ、完璧な画面をつくり、編集してゆくフィクション映画でもある。その微妙な接合点が「ハトヤ芝居」となって現れるということだろうか。
次回も別の例を取り上げ、「ハトヤ芝居」の魅惑の秘密について考察をつづけたい。
edit : Sayuri Otobe
映画研究者 三浦哲哉
1976年生まれ。福島県郡山市出身。青山学院大学文学部比較芸術学科教授。専門は映画研究。食についての執筆も行う。著書に『自炊者になるための26週』(朝日出版社、2023年)、『ハッピーアワー論』(羽鳥書店、2018年)など。