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東方美人茶を探す、台湾・新竹市への旅。写真と文:リン・ピンチュン (台湾茶/台湾料理研究家) #3November 18, 2025

「台湾茶の中で一番好きなお茶は?」と聞かれたら、私は迷わず「東方美人」と答えます。先日、その東方美人茶を探しに出かけました。

まずは、このお茶について少しお話しします。

東方美人茶の本来の名前は「白毫(バイハオ)烏龍茶」。1910年代、台湾北部の都市・新竹(シンジュー)地域一帯に住む客家の人々が作り始めたのが、はじまりです。客家の茶農家は、山の恵みを活かし、お茶づくりに励んでいましたが、ある夏、茶畑を害虫のウンカが襲いました。通常なら被害を受けた茶葉は捨てられるところを、彼らは烏龍茶の製法で試しに仕上げてみたのです。すると、驚くほど甘く、熟した果実を思わせる香りが生まれました。これが、のちに“蜜香”と呼ばれる、東方美人茶の独特の香りとなるのです。

東方美人茶を探しに、旅に出ました。写真と文:リン・ピンチュン (台湾茶/台湾料理研究家) #3

ウンカの発生は、お茶の品質を大きく左右します。ワインの出来がその年の気候に影響されるように、東方美人茶も自然条件によって風味が変わるのです。ウンカが多い年ほど蜜のように甘く芳しい香りが生まれますが、収穫量は減る。まさに「天の恵み」が生んだお茶といえるでしょう。

そして、茶摘みや製茶も、人の手によって行われます。ウンカに噛まれた部分だけを見極めて摘み取り、発酵の進行具合を視覚、嗅覚、経験で判断しながら丁寧に仕上げていく。各茶師が手がける特等奨(1位)の茶葉は、1キロあたり100万台湾ドル(約500万円)に達することも。台湾最高級茶の象徴です。

東方美人茶を探しに、旅に出ました。写真と文:リン・ピンチュン (台湾茶/台湾料理研究家) #3

私自身、これまで試飲会でしか上位の茶を味わったことがありませんが、その香りは忘れられません。急須を開けた瞬間、シャンパンのように華やかなマスカットの香りが立ちのぼり、続いて蜂蜜のように甘く濃密な香りがふわりと包み込む。思わず「これはもうお茶ではなく、香水だ」と感じるほど。うっとりと酔いしれるような、官能的な体験でした。

今回は、「長年、賞を取り続けている名匠の手による一般ランクの東方美人茶でもいい。ぜひ飲み比べてみたい」と思い、新竹市へ旅に出ることにしました。

東方美人茶を探しに、旅に出ました。写真と文:リン・ピンチュン (台湾茶/台湾料理研究家) #3
東方美人茶を探しに、旅に出ました。写真と文:リン・ピンチュン (台湾茶/台湾料理研究家) #3
東方美人茶を探しに、旅に出ました。写真と文:リン・ピンチュン (台湾茶/台湾料理研究家) #3
東方美人茶を探しに、旅に出ました。写真と文:リン・ピンチュン (台湾茶/台湾料理研究家) #3

各茶師の茶工場を訪ね、それぞれの店舗で直接お話を伺い、作品を購入しました。どの茶師も、自分の畑と茶葉に誇りを持ち、製茶の哲学を静かに語ってくださいました。どれも優劣をつけがたいほどおいしく、個性が際立っていました。

そして何より心に残ったのは、姜肇宣(ジャン・ツァオシュエン)先生の息子さんの言葉でした。

「うちは後継者がいないから、多分この代で終わるかもしれないんです」

その一言に胸を打たれました。この味は“永遠にあるもの”ではない。

温暖化による気候の激変や不安定な世界情勢の中で、私は「今、体験できる幸せ」を決して見過ごしたくないと強く思いました。

だからこそ、いつ失われるか分からない希少なものを、「今この瞬間」に感じ、味わい、心に刻むことこそが、何よりも大切なのだと改めて実感しました。


台湾茶/台湾料理研究家 リン・ピンチュン

リン・ピンチュン
台湾・宜蘭県生まれ。大阪大学外国語学部卒業後、大手旅行会社、レストランでの勤務を経て独立し、台湾にて『郷菜 ShiangTsai』を主宰。「台湾料理は小籠包だけじゃない、台湾茶は凍頂烏龍茶と高山茶だけじゃない」をモットーに、台湾の郷土料理を紹介するレッスンや台湾茶の製茶体験などの企画を通じて、英語と日本語で、台湾の食文化を海外に発信している。台湾国家試験の調理師及び製茶師の資格を持ち、農業部(日本の農水省に相当)による台湾茶コンテストの審査員課程を修めるほか、各産地の生産者への取材を重ねる。著書に、『台湾茶の教科書 現地のエキスパートが教える本場の知識』(グラフィック社)。

shiangtsai.com

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