名著を読み解く、大人の読書感想文。

名著を読み解く、大人の読書感想文。課題図書/『坊っちゃん』 文/大森克己Book Review 3 / December 25, 2020

誰もが取り組んだ学校の宿題といえば読書感想文。様々な経験を積み重ねた大人が、改めて名著に対峙するとき、どんな感想を抱くのだろうか。教科書に掲載されるほどのタイトルを課題図書に、5人が新たな視点で自由に感想を綴った。

坊っちゃん

課題図書
『坊っちゃん』
夏目漱石 著 新潮文庫

親譲りの無鉄砲で子どもの頃から損をしている「坊っちゃん」が東京を離れ、四国・松山の学校で教師になる。組織を権力で支配する人物に〝正しさ〞を問いかけ、己を貫くことの大切さを清々しく描いた中編小説。

大森克己

文/大森克己 Katsumi Omori
写真家

1963年兵庫県生まれ。『GOOD TRIPS, BAD TRIPS』で第3回写真新世紀優秀賞を受賞。主な写真集に『サナヨラ』(愛育社)、『すべては初めて起こる』(マッチアンドカンパニー)、『心眼 柳家権太楼』(平凡社)など。

野蛮と熱さと漱石と

 夏目漱石の『坊っちゃん』が書かれたのは1906年、明治39年のこと。当時、漱石39歳。今回、久しぶりに再読して新潮文庫の解説で知ってびっくりしたのだが、なんとこの400字詰めの原稿用紙215枚分の中編小説、一週間に満たない期間で一気呵成に書き上げられたのだという。そのスピードとリズム感がなんといってもこの小説の魅力だろう。

 タイトルの『坊っちゃん』というのはもちろん主人公のことを指しているのだが、それは彼を幼少の頃からずっと可愛がって目をかけてきた実家の女中「清」がずっと主人公のことをそう呼んでいたのであって、彼自身は自分のことをなんといっているかというと「おれ」である。

 東京生まれの直情径行で無鉄砲な「おれ」が学校卒業後、四国・松山の中学に数学教師として赴任し、そこで繰り広げられる出来事、主に同僚や生徒とのトラブルが「おれ」の速射砲のような一人称の語りで綴られていく。たとえば「おれ」が松山の港に到着するシーンはこうである。「ぶうと云って汽船がとまると、艀はしけが岸を離れて、漕ぎ寄せて来た。船頭は真っ裸に赤ふんどしをしめている。野蛮な所だ。尤もっともこの熱さでは着物はきられまい。日が強いので水がやに光る。見詰めていても眼がくらむ。事務員に聞いてみるとおれは此所へ降りるのだそうだ」

 短いセンテンス、断言のリズム感。そして「漕ぎ寄せて来た」というのは過去形なのだが、その次の文「赤ふんどしをしめている」以降しばらく現在形が続き、「おれ」の体験している光景が読んでいる読者の現在にあっさりと接続する。「日が強いので水がやに光る」なんて「真っ裸」「赤ふんどし」「野蛮」「熱さ」ときての「やに光る」である。センスいいなあ、漱石。

主人公「おれ」の心に浮かぶよしなしごと、見たこと、そして他人との会話が、まるであるがままのように全編にわたって書き連ねられていくのだが、そもそも人が見たままを書く、心に浮かぶことをあるがままに書くなんていうこと自体が、なかなかに難易度の高いことだよなあ。面白い小説が皆、上手い文章であるとは限らないが、漱石の文章はホント、上手かつヴィヴィッドだ。「きのう着いた。つまらん所だ。十五畳の座敷に寐ねている。宿屋へ茶代を五円やった。かみさんが頭を板の間へすりつけた。夕べは寐られなかった。清が笹飴を笹ごと食う夢を見た。来年の夏は帰る。今日学校へ行ってみんなにあだなをつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学はのだいこ。今に色々な事をかいてやる。さようなら」。これは松山から初めて「おれ」が清に出した手紙の文面である。笑ってしまうほどシンプルに畳み掛けている。

漱石は落語や講談が大好きだったそうだが、いちど『坊っちゃん』を誰か落語家の朗読で聴いてみたいなあ。どこかのラジオの深夜放送でやらないかしら。

illustration:Shapre edit : Seika Yajima
※『&Premium』No. 70 2019年10月号「あの人が、もう一度読みたい本」より

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