音楽家・青葉市子×写真家・小林光大が紡ぐ、旅と日々の記憶。Choe「花々」 | Column | & Premium (アンド プレミアム)

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June 13, 2020 音楽家・青葉市子×写真家・小林光大が紡ぐ、旅と日々の記憶。Choe「花々」

クラシックギターを片手に国内外を旅する音楽家の青葉市子さん。各地でインスピレーションを汲み上げながら、日々、言葉と音楽を紡いでいます。その旅に同行し風景を切り取っているのが、写真家の小林光大さん。日々の生活に戻っても、互いの存在と作品は呼応し合い、ときには小林さんの写真を通して青葉さんが創作することも。

この連載では、旅と日常とまたぎながら2人が生み出したものを「Choe」と名付け、青葉さんのエッセイと音楽、小林さんの写真を交えながらお届けします。

今回は東京から思いを巡らせ、想像の旅へ。

 

花々

 
 
 

目が覚めたとき、まだ、これが目が覚めている状態だと理解する前の、しばらくの間感じられる浮遊がある。できるだけ、その浮遊を保っていたいと、眠りの方へ重心を倒してみるけれど、起きはじめた身体は次第に水を求め、脳がしゅわしゅわと覚醒してこちら側の世界にチューニングを合わせていってしまう。さようなら、夢の世界。目覚めるとき、おはようの中にちいさなさよならが存在する。

 
 
 
 
 
 

この世界になったおかげで、わたしにとっては、人と会う、ということはつまり、匂いと会っているといっても過言でないほど、嗅覚とともに認知していることがわかった。一人でいるときも、その人を思い出せば、記憶に呼び出された匂いがふわりと蘇ってくる。 鼻の奥の、眉間の手前くらいのところに、暗くてあたたかくて丸い空間がうまれ、そこがその人の匂いでゆっくりと満ちていき、実際に嗅いでいる感覚と近く手繰り寄せることができる。ただそれは一瞬で、せっかく手繰り寄せた匂いも、思い出せた瞬間に魔法のように煙となり消えてしまう。だから何度も繰り返す。

肩を上げたあとストンと落とした時の、ダウンから漏れる、種のような、ほんのり甘く新生児のような匂い。さらさらした髪をくるんとまわして勢いよくこちらを振り向く、花の蜜に溺れたような、色で言うと桃色としか言えぬ愛らしい匂い。 ロクシタンの芍薬のシャンプーの匂いがする母子。父親はロクシタンに加え、分厚い木肌のような、すこし香ばしさも感じられる。3人が揃うと植物園の温室にいるみたいな、湿度のあるおちついた匂いとなる。

 
 
 
 

モクレンが散る。そのとき、ぼとり、と音がする。
花とは思えぬ質量をともなった落下音にどきりとする。

夜の暗闇の中、突如現れる人肌のような香り。その香りの先に目をやると、大きな白の塊が幾つも浮いている。月夜のモクレンは、輪郭に光の粒子を纏うような、いびつな輝きでそこにいる。眩しさにまぶたを薄ら閉じれば、輪郭は更にぼやけ、幻想のともしび、肉厚な花びらと滑らかな皮膚を等しく照らしている。そのうち、春の人肌は皮膚の内側へと滑り込み、密やかな花と人との交配となる。

花に触れた手のひらは、5本の指を花弁へと変化させ、胴体は幹へ絡みとられてゆく。吐息は花の香りと重なって、甘塩っぱい。それは、涙を流すときの、つんとした香りと似ている。

布団に沈むころには、先ほどまでモクレンだった粒子たちが、皮膚の下で新しいわたしとなって夢を見るだろう。

 
 
 
 

見下ろすと人々がちらほら歩いている。
太陽光に首をあげて深呼吸する。風が気持ちいい。
伸びをしたら、古くなった花弁がぼとぼとと落ちた。
鳥や虫や雨たちがその上を歩き、地面になじんで少しずつ土に還ってゆく。

こうして私たちは、知らず知らずのうちに季節とまぐわいして、入れ替わっては咲き乱れ、散りゆき、人であったり花であったりすることもあやふやになって、ただただ巡っているだけなのかもしれない。

 
 
 

 
 

「海底のエデン」

いつか
あなたを忘れてしまっても
言葉にはならない
うつくしいひとみ
堕ちるさなか

きっと
窓辺の鷗のようには
ひかりをわたれない
よるの合間にいて
こえ

あいを
ないて
うたう
夜明けの眩しさたちも
孤島に消えゆく人も
海底のエデン
交配する
花に触れたなら

 

music & text:Ichiko Aoba photo:Kodai Kobayashi