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東京から尾道へ、移住して働く。『うつわとくらしの道具カルフ』店主・樋熊敏亨さんの仕事と暮らし。前編June 03, 2025
社会システムが整ってきたことから、それまで暮らしていた土地から新たな場所へと移住する人が増えてきた。そこでは働き方とともに、生き方にも変化が訪れる。そして、自分にとって大切なこととは何かを考えるきっかけにも。昨年、東京から尾道へと移住をした樋熊敏亨さんに、その過程と今の暮らしの喜びについて教えてもらった。
2025年7月号「素敵に生きる人の、働き方」より、前編・後編に分けて、WEBで特別に紹介します。
ほぼ全国を旅して、移住先を決定。

樋熊敏亨さんが、東京から広島・尾道に引っ越したのは約1年半前。東京でも吉祥寺で北欧雑貨の店に携わっていたが、尾道では初の自分の店舗を構えることに。築50年弱の2階建て民家の1階を居住スペースにして、2階をショップスペースに改装。北欧ヴィンテージの器、日本の現代作家のもの、木彫りのクマの3カテゴリーを中心に『うつわとくらしの道具カルフ』をスタートした。
その移住やリノベーションの過程は、彼のインスタグラムに、豊富な写真とともに詳しく記録がされている。
「これから家を改装したいという人や、移住したいという人の参考になればと、インスタグラムにアップしました」
自身では気負うことなく移住したというが、その記録を見ていると、自分がどうしたいのかという心のうちを丁寧に整理しながら進めていったことがわかる。都会から地方へ。移住して暮らし方や働き方を変える人が増えている今だからこそ、樋熊さんの選択もケーススタディのひとつとして参考にしたい。
「移住のきっかけとなったのはコロナ禍です。それまでひんぱんに北欧に買い付けに行っていたのですが、それができなくなった。もともと旅好きなので、海外がダメなら国内を回ろうと国内旅をしているうちに、それぞれの地方ごとにとんでもなく美しい風景や素晴らしい店があることを知りました。それがすごく新鮮で、地方で生活するのも面白そうだな、と思うようになったんです」
普通に楽しんでいた旅が、いつしか移住先探しの旅へと変化。最終的に富士山の近くか瀬戸内かの二択に絞られた。
「移住先には観光資源があって人の行き来があること、雪が降らないこと、今後の発展性がありそうなところといった、いくつかの条件を設けました。そうして残ったのが、この2か所だったんです。せっかくなら日本一の山を眺めながら暮らすのもいいと思ったし、僕は茨城出身で荒々しい太平洋が身近だったせいか、瀬戸内海の穏やかさにも感動しました。どちらにしようかと迷ったのですが、尾道は戦禍を免れた昔からの建物が多く残っていて、古いものと新しいものが共存している。その感じがすごくいいなと思って、ここに決めました」

その判断は大正解だったと満足。港町で昔から人の出入りがあったおかげか、移住者を温かく迎えてくれる風土があり、空き家バンクの活動が盛んで物件も充実していた。樋熊さんの家もそうだが狭い路地に面していたり、接道がなかったりするため、古い家を一度取り壊すと新築ができない。だからこそ守っていこうという気運が街全体にあるのだという。
「その、古いものを残していこうという考えも僕にはフィットしました。ここに移ってから、生活は東京と比べて180度チェンジ。もちろん、仕事の仕方も変わったし、生き方や大切にしたいと思うことにも新たな視点が生まれました。40代後半で、自分の店を持つには遅いのでは、といわれることもありますが、自分的には今のこのタイミングで、住む場所や働き方を変えられたのは、本当によかった。もっと若かったら、核が定まらず、店づくりもブレブレだったと思います」
樋熊敏亨『うつわとくらしの道具カルフ』店主
音楽レーベルの制作を経て、2006年にオープンした東京・吉祥寺のライフスタイルショップ『フリーデザイン』の立ち上げから運営に携わる。2024年8月に尾道・長江で自身のショップをスタート。
photo : Masanori Kaneshita illustration : Isabelle Boinot edit & text : Wakako Miyake