LIFESTYLE ベターライフな暮らしのこと。
自宅で私設図書館「木林文庫」を営む須山実さん・須山佐喜世さん夫妻。その暮らしの場で、人と出会い、働く。前編June 01, 2025
夫婦二人三脚で編集出版事務所〈エクリ〉を営み31年。自分たちが「本当に出したい」と思う本を手がけ続けてきた原点は、パリの古書店で出合った一冊の詩画集だという。自宅は、都内の築50年の集合住宅の一室。そこは、暮らしの場であり仕事場であり、本づくりをきっかけに生まれた私設図書館でもある。蔵書に囲まれたその部屋を訪ね、二人の道のりを聞いた。
2025年7月号「素敵に生きる人の、働き方」より、前編・後編に分けて、WEBで特別に紹介します。
暮らしの場所が、私設図書館になるまで。
「じっと本を読んで過ごす方もいますし、好きな作家について話が弾むことも多いんですよ。話していると刺激になって、私たちの視野も広がります」
自宅で編集出版事務所〈エクリ〉を営む須山実さんと妻の佐喜世さんは、その一角を「木林文庫」と名付け、私設図書館として開放している。きっかけは、詩人・長田弘と画家・日高理恵子による詩画集『空と樹と』を手がけたこと。加えて、高知県立牧野植物園での展示に合わせた書籍『樹と言葉』を作ることになり、手元に「木にまつわる本」が集まった。
「せっかくだから、それをみなさんにも見ていただきましょう、ということになって」と、それはもう、ごくごく自然な流れのように実さんは話すけれど、まずもって私設図書館という発想がとてもユニーク。始めた当初こそ、すぐそばの戸建て住宅に住んでいたが、ほどなく、住まいもここに集約。暮らしながら、本を作りながら、蔵書閲覧の希望者を受け入れる生活を、10年近く続けている。
部屋の広さは約60㎡。実さんは書斎もあるが、校正紙を広げるのは食卓が常。佐喜世さんの仕事場は窓際の、ノートブックパソコンがギリギリ収まるくらいの小さな学習机と、居間の円卓。そこは来客と語らうコーヒーテーブルでもある。〈エクリ〉を始めて31年。今は独立している3人の息子の子育ての最中も、ずっと職住一体でやってきた。実さんは言う。
「区切りがないと言えばないけれど、二人で好きなことをしているだけですから、区切る必要もないのかもしれません。本を作り、食べて、寝て。本好きの人と話し、また二人で本を作る。狭いですけど、不自由はないですよ。掃除は僕の担当で、この広さがせいいっぱい」
実さんは、最初から編集者を目指していたわけではなかった。10代の頃は「体育会系」で、大学は政治経済学部に進んだが、映画に目覚め、卒業後に映像学校の門をくぐる。20代の「若者」のきっと多くがそうであるように、将来、何を生業にして生きていくのか、明確な「見通し」があったわけではなく、当時はただただ「映画に関する仕事全般に興味があった」という。そして、ジャン=リュック・ゴダールの作品などを通して、シュルレアリスムへの興味を深めていく。
佐喜世さんとは、映像学校時代のアルバイト先で出会った。大学でロシア語を学んだ文学少女で、連絡を取り合う口実として、実さんが自作のシナリオを渡し、「感想をください」と言った話も素敵なのだが、ともかく、結婚と相成り、結婚してすぐに実さんはパリへ留学する。銀座の画廊に勤め始めた妻が、夏冬の長期休暇のたびにボーナスを抱えて夫の元に渡仏する、ちょっと変わった新婚生活。その何度目かの訪仏の際、二人で訪れた古書店で見つけたのが、アレクサンドル・ブロークの詩画集だった。

「衝撃でした。ブロークは1880年生まれのロシアの詩人で、僕らが手に取ったのは1980年に作られた本ですが、1ページごと、1節ごとに英語、ドイツ語、フランス語、ロシア語の4か国語が併記されている。何よりも言葉と絵の関係がとてもよくて。こういう本を作りたい、と思ったんです」
須山 実、須山佐喜世〈エクリ〉、「木林文庫」主宰・編集者/編集者・翻訳家
実さんは1948年生まれ。佐喜世さんは’49年生まれ。’94年に〈エクリ〉創業。ロベール・クートラスの作品集『僕の夜』、アンドレイ・タルコフスキーの『ホフマニアーナ』など20冊近い本を出版。東京・学芸大学の私設図書館「木林文庫」は金・土曜限定で予約制。
photo : Keisuke Fukamizu illustration : Isabelle Boinot text : Tami Okano