Lifestyle

May 27, 2023 生き方が素敵な人が、大切にしていること。
翻訳家・文筆家の服部雄一郎さん、文筆家の服部麻子さんの生き方のスタンス。

2023年5月19日発売の特集「あの人は、どう生きてきたのか」。暮らしを取り巻く状況が変化し、自分らしい生き方を模索してきたここ数年。日常を取り戻しつつある今、これからの人生を心から楽しむためのヒントを、自分らしい素敵な生き方を実現している人々から学ぶ特集です。ここでは、翻訳家・文筆家の服部雄一郎さん、文筆家の服部麻子さん夫妻に聞いた、自分らしい生き方に辿り着いた聞いた、これまでとこれから、生きる中で大切にしてきたことを紹介します。

変化にブレーキをかけず、 やりたいことを恐れない。

生き方が素敵な人が、大切にしていること。翻訳家・文筆家の服部雄一郎さん、文筆家の服部麻子さんの生き方のスタンス。
高知県の服部さん一家の家。目の前に物部川が流れ、少し高台に位置する。豊かな自然に囲まれているが、空港から車で30分程度とアクセスもいい。
家の造りはシンプル。断熱性と気密性が高く、エアコンにそれほど頼らなくても冬は暖かく、夏は涼しく過ごせる。末っ子の次男はこの春、小学4年生に。
家の造りはシンプル。断熱性と気密性が高く、エアコンにそれほど頼らなくても冬は暖かく、夏は涼しく過ごせる。末っ子の次男はこの春、小学4年生に。
一番上は麻子さんが都内の大学で職員をやっていた頃の写真。中段左と下段右はアメリカ留学時。麻子さんと子どもたちがリクシャーに乗っている写真はインド滞在時のもの。海外でも家族みんなで助け合いながら楽しく過ごしていた。現在、写真のほとんどはゼロ・ウェイストのためデジタル化している。
一番上は麻子さんが都内の大学で職員をやっていた頃の写真。中段左と下段右はアメリカ留学時。麻子さんと子どもたちがリクシャーに乗っている写真はインド滞在時のもの。海外でも家族みんなで助け合いながら楽しく過ごしていた。現在、写真のほとんどはゼロ・ウェイストのためデジタル化している。

思い通りの形でなくても、必ず何とかなると信じる。

 

ゴミを出さず、できるだけ環境負荷のかからない生活を心がけている、服部雄一郎さんと麻子さん夫妻。

 ともに神奈川県の出身だが、よりサステナブルな暮らしをしたいと、2014年に高知県の山のふもとに移住をした。長男、長女が寮生活になり、この春からは小学4年生の末っ子と3人暮らしに。彼らの転機は、’06年。長男の子育てをもっと楽しみたいと、神奈川・横浜から葉山へと引っ越し、雄一郎さんが町役場に転職。そこで、ゴミの部署に配属されたことからだった。きっかけは本当に簡単なこと。

「自宅で生ゴミの処理をしてみたら、驚くほど簡単にゴミが減ったんです。ゴミ問題に対する危機感や使命感が湧いて、というより単純にそのことが楽しくて、もっと知りたいし、周りにも知ってほしいと思うように」と、雄一郎さん。

 その後、現在中学生の長女が誕生したばかりのときに、ゴミについて学ぶためアメリカ・カリフォルニアの大学院に雄一郎さんが留学。麻子さんと子どもたちも同行した。’12年に修了すると次はNGOの仕事でインド・チェンナイに、こちらも家族で滞在。帰国後は京都に住みながら移住先を探し、高知に落ち着くという、なんとも目まぐるしい展開に。

 乳飲み子を抱えてのアメリカ留学も、インドでの生活も、地方移住も、飛び込むのは、勇気のいることでもある。でも、それに対する心配や不安はあまりなかったとのこと。

「麻子さんの口癖が『予定通りの人生なんてつまらない』で、僕はその言葉が大好き。彼女のほうがその辺は肝が据わっています」とは雄一郎さん。隣で麻子さんが明るく笑う。

「確かにインドでも家族みんな病気になるなど大変だったのですが、やりたいことをしてもやりたくないことをしても、どっちにしろ生きるのって大変ですよね。どんなに計画を立てても、思い通りになんてならな
いし、想像もしていなかったことが起きる。だったら、今、やりたいことをやったほうがいいと思うんです」

 そうして行った海外での暮らしも面白いことばかりだったと言う。インドでは特に「生きる力がすごいと感じた」と、麻子さん。「日本だと人間関係など暮らしが複雑になるけれど、インドはいろいろざっくりしていて、シンプルな力強さがそこかしこにある。すごいなと思うと同時に、やっぱり死も近いんです。社会システムの不備もあるし、貧困もあり、守られていない人も多い。それを思うと日本はだいぶ安定している。帰国してからもインドのことを思えば何でもできると思いました」

 
2005年都心での消費生活を楽しむ。
神奈川県葉山町に移る直前。それまで二人とも都心勤務で食べるのが好きだったことから、外食三昧の日々を送っていた。
2005年都心での消費生活を楽しむ。
神奈川県葉山町に移る直前。それまで二人とも都心勤務で食べるのが好きだったことから、外食三昧の日々を送っていた。
2009年葉山町役場でゴミの仕事に従事。
子育てのために住んだ葉山町で雄一郎さんは町役場に転職。ゴミの仕事の担当になった。これが今の生活のきっかけに。
2009年葉山町役場でゴミの仕事に従事。
子育てのために住んだ葉山町で雄一郎さんは町役場に転職。ゴミの仕事の担当になった。これが今の生活のきっかけに。
2012年雄一郎さんが米国の大学院を修了。
第2 子誕生後、カリフォルニアのバークレーに。大学の家族寮に住み、毎週ファーマーズマーケットに通っていた。
2012年雄一郎さんが米国の大学院を修了。
第2 子誕生後、カリフォルニアのバークレーに。大学の家族寮に住み、毎週ファーマーズマーケットに通っていた。
2013年ゴミのNGOの仕事でインドに滞在。
チェンナイに家族4 人で滞在する。麻子さんは最初の1か月は衛生状態の悪さに抑うつ状態になったものの、すぐに適応。
2013年ゴミのNGOの仕事でインドに滞在。
チェンナイに家族4 人で滞在する。麻子さんは最初の1か月は衛生状態の悪さに抑うつ状態になったものの、すぐに適応。
 

 どんなことでもやってみれば予想外の発見も多く、問題があっても、それを上回るプラスがあればいいというのが二人の考え。我慢した生活をするよりも、楽しいと思える方向へ進む。その積み重ねが、今の暮らしをつくっている。

「何かアクションを起こせば起こしただけ、当たり前ですけどその結果が返ってくる。ちょっと変わったことをすると、やっぱりすごく変わった結果がついてくるので面白いな、という実感はあります。だから、何でもやってみたほうがいいんだろうなと思っています」と、雄一郎さん。

 そして、やってみてダメだったら手放すことだってある。

「何事も義務ではないですから。うまくいかないとやっぱり心に負担がかかり元気がなくなってしまうので、無理はしないようにしています」

 ゴミを出さない暮らしも、自分たちが心地いいからやっていることで、他の人に強く勧めることはしない。

「ゴミも大事な問題ですが、それぞれの人生の中で、必ずしもゴミが最重要課題とは限らないと思うんです。ただ、変化を起こせる人も一定数いるので、そういう人たちにいいタイミングで知ってもらえればいいな、と考えています」

 家の前にある庭では、野菜や草花が育てられ、毎日、卵を産んでくれる鶏も自由に歩きまわっている。

「庭というか畑というか、雑多な園という感じです。収穫もするけれど、畑っぽくせず、いろいろと自然に植えています。作物を育てている歴は長いのですが、全然うまくならない。楽しかったらそれでいい、という気持ちで、成功させようとあまり思っていないんです」と、麻子さん。

 成功やゴールを求めるのではなく、過程を楽しむ、というのも二人の共通した思いだ。

 高知に移住したときも、決まった仕事があったわけではなく、カフェやお菓子作り、翻訳など複数の仕事で少しずつお金を得るという方法で生活をスタートした。

「どんなことも必ず何とかなるんです。願った形にはならなくても、思いがけない展開で解決する。それも面白いんです。そう思えるのは、アメリカやインドでの生活があったからかもしれません」と、麻子さん。そして、変化を大切にしたいとも言う。「変化することにブレーキをかけないというのも、私たちの生き方の一つかもしれません」

 
洗剤は使わず、食器洗いは「びわこふきん」で。動物性の油には少量の重曹を使う。
洗剤は使わず、食器洗いは「びわこふきん」で。動物性の油には少量の重曹を使う。
プラスチックフリーを心がけ、台所にはプラスチック製品や電化製品がほとんどない。保存はガラス瓶に。
プラスチックフリーを心がけ、台所にはプラスチック製品や電化製品がほとんどない。保存はガラス瓶に。
庭に作ったコンポスト。生ゴミはここで堆肥にする。
庭に作ったコンポスト。生ゴミはここで堆肥にする。
木やステンレスの弁当箱などは買い物の際にマイ容器として活用する。
木やステンレスの弁当箱などは買い物の際にマイ容器として活用する。
 

服部雄一郎 Yuichiro Hattori 翻訳家・文筆家
服部麻子  Asako Hattori 文筆家

ともに1976年生まれ。大学生のときに知り合う。共著に『サステイナブルに暮らしたい─ 地球とつながる自由な生き方』、雄一郎さんの翻訳本には『ゼロ・ウェイスト・ホーム』(ともにアノニマ・スタジオ)などがある。

掲載号はこちら

photo : Norio Kidera edit & text : Wakako Miyake

Latest Issueあの人は、どう生きてきたのか。2023.05.19 — 920円