極私的・偏愛映画論『ポンヌフの恋人』文/ゆーないと(『ほぼ日刊イトイ新聞』乗組員) / July 20, 2017
This Month Theme猫に魅了される。
橋の上で思いっきり叫びたい。
もともとは、犬派だったので「猫の映画を」と言われても、まったく思い当たらない。幼少期の一番心に残っている映画は、早速それるが『忠犬ハチ公』。映画館に観に行った。あるシーンから涙が止まらず、嗚咽が止まらず、子どもなので声を押し殺すことも出来ずに、うわんうわん泣いた。あまりにも泣くのでエンドロールが流れ始めた途端、親におんぶされ、泣く泣く、いや、泣き泣きの退場だった。スクリーンの明かりを頼りに、映画館の通路をゆっくりゆっくりと歩く、父親の背中から見える客席の景色はスローモーション。いまでもよく覚えている。
だめだめ、猫の映画を思いつかねば。『魔女の宅急便』、『となりのトトロ』、『不思議の国のアリス』は、猫が出て来るが、アニメーションだ。そう、犬とちがって、猫は演技なんかできない。それが猫のいいところ。アニメなら大活躍でも、実写だとあまりない……。ちょっとカメラの前を通り過ぎるとか、近所をうろうろしている程度の使われ方しかしない猫。しかし近年、本物の猫が出るCMや、映画、ドラマが増えているようだけど、ひとつも観ていないことに気づいた。もしも上手に演技をしている猫が出てくる作品があったとしても、不自然に思えて、ストーリーに集中出来ない気がする。あ、森達也監督のドキュメンタリー映画『FAKE』に出て来る猫はとても自然体だった。(そりゃそうだ)
わたしは作戦を変更した。逆に好きな映画を思い浮かべて、どこかに猫が映り込んでないか、脳内でチェックした。なかなか見つからない。そんなわたしが「あったぞ!」と思い出せたのが約30年前のパリを映したレオス・カラックス監督の『ポンヌフの恋人』。はじまりから、もうわけがわからない。夜の街。車道をとぼとぼ歩く、目を怪我した不気味な女と、車に引かれて生きているのか、死んでいるのかわからない不気味な男性。女性の持っているバッグの中から顔を出す子猫……。あぁ、なんというシーンだ。この映画は、他の映画で観ていたパリとちがう。この映画で、「おフランスざます」じゃないパリの街を知った。こわくて、不気味だけど、リアルでファンタジックで、なんだかすべてがかっこいいのだ。登場人物が着ているおんぼろの服や、もう何日もお風呂に入ってないであろうしっとりした髪や肌の質感すら、かっこいい。
あ、そろそろ猫の話をしないと!
この映画に出てくる猫は、子猫であり、だいたいカバンの中からひょっこりと顔を出している。たとえカバンの外に出ても、猫がおびえたりビビってるときにやる、貞子(from『リング』)のようなほふく前進になることもなく、のびのびときちんとカメラにおさまり続けられてるのは、あまりわけがわかってない子猫だからだと思う。あれが犬だったら、ストーリーもぜんぜん違ったはずだ。猫でよかった。わたしはそう思う。とにかく『ポンヌフの恋人』は、暗くて静かーで、観る度にうとうとしてしまうんだけど、うっとりできる好きな映画のひとつなのだ。わたしも一度でいいからあんなふうに、橋の上で思いっきり、身体ぜんぶで表現してもしきれない「愛」を叫んでみたかった……(遠い目)。あの様子は、まるで子犬が全身を震わせて、地から足が離れてしまうほど、上半身と下半身がちぐはぐになるほど激しく、飼い主や仲間に向かって「愛」を叫ぶのに似ている。あ、また犬の話に……。猫はそういう愛情表現がないかわりに、人間のあぐらの中で、ものすごく図々しい感じでくつろいだりする。うつぶせになっていると、容赦なく背中でくつろぐ。彼らは一見、「愛」を表現しないから、図々しいのだ。(誤解のないように言うと、猫はほんとうは愛情深い生き物です)くつろがれると、うれしい反面、だんだんジャマになってくるので、どかそうとすると、あからさまなため息をついたり、ひっかいたり、噛んだりしてくる。そう、それが、猫。猫は、わかりにくくておもしろいいきもの。こんないきものを作ってくれた神様に、橋の上で身体ぜんぶを使って「ありがとう」を叫んで踊りたい。