FOOD 食の楽しみ。
一度食べたら忘れられない、大川雅子さんの思いが伝わるパンケーキ。September 28, 2025
根っからの食いしん坊、ベテランフードライターのP(ぴい)こと渡辺紀子さんがお贈りする厳選うまいものガイド。&Premium101号(2022年5月号)「センスがいいって、どういうことですか」より、大川雅子さんが焼く、とっておきのパンケーキを紹介。
大川さんの手の温もり、 思いが伝わるお菓子。
アメリカ南部にUSビーフの取材に行ったことがある。牧場主は町の有力者で、息子は3人。なぜか長男は馬に乗れなかったが、次男と三男はロデオチャンピオンになったことがあるそうで、西部劇のように牛を追っていた。
牛の取材だけでなく、隣のマダムに自慢のケーキの作り方を習った。名をレッドベルベットケーキという。近所じゃ評判と自賛しながら生地を作るのだが、途中、食紅を入れるところで腰が抜けそうになった。まず、食紅を1瓶丸ごと入れたのである。えええっ、そんなに入れて大丈夫?と思ったが、さらにもう1瓶。2瓶全部入れきったのである。焼き上がったスポンジ生地は、当然真っ赤。生地を二等分して、間にホイップクリームを挟み、周囲にも塗って、派手な紅白のケーキができた。「さぁさ、召し上がって」と言われて、しっかりいただいたのだが、帰り道、カメラマンと真っ赤に染まったベロをベーッと出し合って大笑いした。「グリーンベルベットケーキもあるのよ」というマダムの言葉を思い出して、また大笑いした。アメリカ、恐るべし。
アメリカはおいしくない。日本人は長くそう思い込んでいた。スイーツの世界も、フランス&ヨーロッパ先行で日本に広まっていったけれど、どっこい、アメリカにはショートケーキがある、シフォンケーキやパイ、ドーナツだってある。そして、そのどれもがなぜか懐かしい味わいなのが不思議である。
あ、また、余計な話ばかりしてしまった。失礼いたしました。『アポック』の大川雅子さんの作るお菓子は、焼きっぱなしだったり、手を加えすぎない素朴さだったり、アメリカだなぁと思うものがあるので、つい……。ご本人は、「アメリカやイギリスの家庭に生まれ育った焼き菓子(加えてフランスやイタリアなど)を何度も作るうちに自分らしいお菓子になった」と記しているが。

大川さんといえば、パンケーキ。青山・骨董通りの角っこ。黒い鉄の手すりの階段を上がった先に広がる世界は、何から何までホント素敵だ。そして、大川さん自身が焼いてくれるパンケーキのおいしさといったら、もうもう……♡
と、その前に、大川さんの最初の店へ行ってみましょう。1998年、青山にある『岡本太郎記念館』に誕生したのが、カフェ『ア・ピース・オブ・ケーク』だった。この店名、シンプルにいえば、ひと切れのケーキ。イディオムとしては、チョー簡単、とか、お安いご用よ、といった意味がある。大川さんが「私にまかせて」と、胸をトンと叩いているような店名に思える。

この記念館とカフェがあるのは、岡本太郎が50年近く暮らした自宅兼アトリエだったところ。ここはどこ?って感じのトロピカルな植物が茂る庭の木々の間からもバルコニーからも、太陽をモチーフにした愛嬌のある彫刻が顔を出す。カフェからも垣間見えるのが嬉しい。
席に着くと、食い気中心ゆえ、お菓子にばかり目がいくけど、見回してみたらワクワクするようなインテリアだ。まず、パッと目に入るのが、大川さんのおばさまが趣味で作ったというランプシェード。色とりどりでかわいいこと。形がちょっといびつなのも愛らしい。大川さん曰く、店内は「ファンシーとユーモア」。確かに。そして、ポップだ。独特の腰壁は、アメリカで見つけたアンティークの透明ガラスのステンドグラスが張られたものだ。店を開くという夢はあったが、まだ実現するかどうかわからないときに求めたものだそうだ。結果、翌年、お店を持つことになり、ドンピシャはまったんだとか。よく見ると味わい深い。そして今年で24年。すごいなぁ。
さて、本日のケーキたちは、超定番のバナナブレッドにベークドチーズケーキ、タルトタタン、シフォンケーキ2種、ニューヨークチーズケーキだ。「明日はアップルパイを焼きます」とのこと。いいなあ、この雰囲気。大川さん夫妻の趣味全開で、おっとり、あったか〜い空気が流れていて、居心地よすぎます。
では、そろそろ重い腰を上げて、パンケーキ専門店の『アポック』へ。ここに来るたびに、「わーい、パンケーキだ、パンケーキだ。嬉しいな」、いつも、そんな気分になるのはなぜだろう。子どもの頃に戻ったような、安心感に包まれる。大川さんが「いいわよ」と何でも許してくれるような、受け入れてくれるような気がするからだ。事実、近所に住む若い友人は、大川さんのことを姉のように慕っていて、何でも相談しているらしい。

パンケーキはともかくおいしい。全部のせではないけれど、パンケーキ2枚に、レモン、ホイップクリーム、国産バターに、北イタリア・カステーリ産ホエー豚の無添加ベーコン、黒富士農場の放牧卵の目玉焼き、そして、ナチュラルメープルシロップをたっぷりかけて、甘い、しょっぱい、甘い、しょっぱい、ときどき酸っぱいを楽しむ。あ、バターは塗るのではなく、塊のまま切って、パンケーキと一緒に口に運んでから口の中で溶かすのが『アポック』の流儀。そのほうが絶対おいしい。取材するまで知らなかったのだが、メープルシロップは焼きたてのパンケーキが冷めないように、温めてあるんだそうな。こういうところが、さすがである。

そしてそして、このパンケーキを家で再現できるパンケーキミックスがある。バターミルクの代わりにホエー(乳清)のパウダーを用い、厳選した小麦粉、トランス脂肪酸フリーのオーガニックパームオイル、オーガニックのメープルシュガー、アルミニウム不使用のベーキングパウダーを合わせたものだ。試行錯誤を重ね、2000年に完成させた黄金比の配合である。保存料や香料を使わないだけじゃなくて、驚くなかれ、手作りなのである。これがまあ、よくできていて、ミックスに牛乳と卵を加えて、泡立て器でざっくり混ぜて焼くだけ。ダマがあっても大丈夫というのも、ずぼらな私には嬉しい限り。しかも、ふ〜んわり。1袋で7枚ぐらい焼けるのだが、一度に焼いて、食べ切れないときは冷凍しておけるという、何ともありがたいものだ。よくぞ、作ってくれました。指南書というかレシピが書かれた細長いリーフレットもおしゃれである。バターミルク以外に3種あって、グレイン、コーンミール、チョコレート。何を合わせたいかによって、あれこれ変えてみるのもよさそう。
書いてる途中から、パンケーキが食べたくなってきました。ちょっと失礼して、この間、買っておいたミックスで、さくっと焼きますわ。

P(ぴい)
みかんの国に生まれたものだから、子どもの頃から、冬は手のひらが真っ黄色になるのが常だった。風邪をひかないのはみかんのおかげかも。あ、バカは風邪ひかないのだったか。
パンケーキハウス アポック
住所:東京都港区南青山5−16−3 メゾン青南2階
電話番号:非公開(予約不可)
営業時間:12時〜18時 月火休ほか日不定休
イートインはすべてセットメニュー。パンケーキ2枚+ホイップクリーム+レモンまたはベーコン+ドリンク2400円〜。
ア・ピース・オブ・ケーク
住所:東京都港区南青山6−1−19 岡本太郎記念館1F
電話番号:03−5466−0686 11:00〜17:00LO、火水ほか不定休
セットドリンクはコーヒーまたは紅茶、有機ルイボスティー(+¥110)、自家製チャイ(+¥330)、フレッシュミントソーダなどなど。
photo:Norio Kidera