猪熊弦一郎文/河内 タカThis Month Artist: Genichiro Inokuma / September 10, 2017
マティスからの啓発的な一言を糧に
スタイルを模索し続けた猪熊弦一郎
香川の丸亀市にある猪熊弦一郎現代美術館は、地元の人たちからは親しみを込めて「いのくまさん」と呼ばれているのをご存知でしたか? 欧米での暮らしが長かったものの、地元の人たちに愛されている猪熊は、日本を代表するモダニズム・アーティストの一人であり、約70年間という長期に及ぶ制作活動に渡って実に精力的に作品を生み出したばかりか、まさに〝恐れ知らず〟というほどスタイルを変え続けた人でもありました。
猪熊は1902年に高松市に生まれ、その後丸亀に引越しし高校まで過ごしました。幼少時から絵の才覚があったという彼は、画家になることを夢見て一浪後に東京美術学校(現 東京藝術大学)に入学。卒業後は新進の洋画家として注目されていましたが、「アーティストを志すのならば一度はパリへ行かねば」という時代であり、彼もまた芸術の都へと渡ります。藤田嗣治はすでに彼の地で活動していましたが、猪熊がまず誰よりも真っ先に作品を見てもらいたかった人物がアンリ・マティスであり、渡航前に直筆の手紙を書き送っていた猪熊はとうとう憧れのその人に会う日を迎えることになったのです。
描き貯めた自信作を持参し緊張しながら面会したマティス(当時69才)。しかしながら、猪熊の作品を観ながら彼の口から出てきたのが、なんと「おまえの絵はうますぎる」という一言でした。それは野心に満ちた36才の猪熊を困惑させ、さらには「技巧ばかりで自分のスタイルではなかったのだろうか」と、それまでのやり方を見直さなければならないという結論に至ったのです。それからは、マティスやピカソやモジリアーニからの呪縛、そして当時のパリ芸術の最先端芸術から脱却すべく、試行錯誤を繰り返しながら自分のスタイルを模索し確立していく日々が続いていきました。
そんな猪熊が辿った画家人生に関して個人的に親近感を覚えるのは、再びパリの行く際に途中で立ち寄ったニューヨークが気に入り、パリに向かわずそのまま20年ほど暮らしたということです。というのも、ぼくも25年の間、アートをやる上で刺激に満ちたニューヨークという街でスタジオを借りて絵を描いていたことがあり、数多くのアーティストたちと遭遇できたことは、今の自分にとって大きな宝になっているからです。
ニューヨーク時代の猪熊がイサム・ノグチやマーク・ロスコやジャスパー・ジョーンズやジョン・ケージやジョージ・ネルソンなどかなり広い交友があったことはよく知られている逸話です。マティスが放った一言を自分に言い聞かせながら、NYでの日々の暮らしや街の彩り、さらにはアメリカの抽象画の代名詞でポロックやロスコに代表される「ニューヨーク・スクール」を享受していったことで、猪熊ならではのカラーとリズムに溢れた伸びやかな抽象画スタイルを展開していくようになっていったのでしょう。
猪熊は90歳まで生き膨大な作品を残した画家でしたが、実はそんな猪熊にはもう一つ魅力的な側面があるんですよね。それは猪熊と彼の奥さんがニューヨークや旅先などで遭遇した収集物です。2012年初夏に「いのくまさん」にて、美術館所蔵品であるコレクションからスタイリストの岡江美江子さんがセレクトし、それを『物 物』展と称し新たな視点で組み合わせた展示が行われたのです。彼らの愛着と時間が染み込んだようなそのコレクション展は、猪熊の人物像を別の視点から伝えるような素晴らしいものばかりで、それゆえに美術館の倉庫に保管されている他のコレクション群も、絵画のコレクションと共に展示されていくことを期待したいところですけどね。