MOVIE 私の好きな、あの映画。
極私的・偏愛映画論『エド・ウッド』選・文/山崎まどか(コラムニスト) / August 20, 2018
This Month Theme生き方をリスペクトする。
自分を曲げず、好きなことを追求して作品を作る。
どんなものであろうと、自分のビジョンを持ち、その実現に向かって邁進する人にはいつも憧れる。そう、それが何だかおかしな、稚拙な作品であったとしても。
ティム・バートンの『エド・ウッド』は1950年代のハリウッドに実在した最低映画の監督を主人公にした作品だ。才能はないけど、夢に溢れたエド・ウッドを演じるのはジョニー・デップ。自らの女装趣味を反映した『グレンとグレンダ』、往年のドラキュラ俳優で今はすっかり落ちぶれてしまったベラ・ルゴシを主演に迎えた『怪物の花嫁』などひどい出来の作品を連発し、興行的にも失敗してきたエドは制作会社に見放され、教会の資金でSF映画『プラン9・フロム・アウタースペース』を作ろうとするが、案の定、出資者ともめて上手くいかない。ヤケになり、大好きな女性用のモヘアのセーターを着て飛び込んだバー・レストランにいたのは、エドが尊敬するオーソン・ウェルズだった。
言ってみれば最低の監督と最高の監督の邂逅なのだが、お互い好きなものを作りたいのに周囲に理解されず、苦しんでいるところは共通している。悩めるエドにオーソン・ウェルズは言う。
「自分を貫くんだ。他人の夢なんか描いてどうする」。
私は最近、オーソン・ウェルズのドキュメンタリーでこのシーンに再会して、どんなに『エド・ウッド』という映画が好きだったか思い出した。感動して、日記にこのオーソン・ウェルズの英語の台詞を書き込んでしまったほどだ。いや、それはもちろん本物のオーソン・ウェルズの言葉ではなく、彼を演じるヴィンセント・ドノフリオの台詞に過ぎないのだが、それにしてもグッと来る。そしてその言葉に励まされてエド・ウッドが撮った映画のクオリティがやっぱり最低だったという事実も素晴らしい。でも、そんな彼の映画は今やカルト作として映画ファンに愛されている。それはエド・ウッドが自分を曲げず、好きなことを追求して出来た作品で、そのことがサクセス・ストーリーよりずっと私の胸を突くのだ。私もエド・ウッド(とオーソン・ウェルズ)を尊敬し、見習って、小さくても、いびつでも、自分にしか書けないものを書いていきたい。