MOVIE 私の好きな、あの映画。
極私的・偏愛映画論『ドリス・ヴァン・ノッテン ファブリックと花を愛する男』選・文 / 城 素穂(フードスタイリスト) / July 24, 2019
This Month Theme住まいを変えるのが楽しくなる。
生き方の豊かさを気付かせてくれる生活空間。
映画の冒頭に登場するドリスの長年の友人であるファッション・キュレーターのヒールト・ブラルートは、よく知った顔だった。10年前、アントワープのレストランで働いていた頃、よくパートナーと共に食べにいらしていた、気さくな洒落たおじさんだった。当初、私はそのレストランの雰囲気をすっかり気に入ってしまい、半ば押掛け女房さながらに働かせてもらっていたわけで、そこがアントワープファッション界の重鎮たちがプライベートで足繁く通う店だとは知る由もなく、「客」と「給仕」という関係性で接することができたのは、大変貴重な経験だった。
ドリス・ヴァン・ノッテンも、そんな“お客”の一人だった。(私が働いていた間は、たった1回の来店だったが……)「あれがドリスだよ」と、こっそり耳打ちされて、視線を向けた先には、とても”ファッション”の持つ華やかなイメージとは結びつかない控えめで真面目そうな人が座っていたのを記憶している。
私がこの映画でもっとも好きな場面は、アントワープ郊外にある、彼の住居「ザ・リンゲンホフ」でパートナー、パトリックとともに暮らす生活風景。霞みがかった広大な庭、紫色の大きな木、日本人から見るとややtoo much! ともとられかねないインテリアに囲まれた、間接照明の室内。庭の草木や花々を摘んで、一つ一つの花器に慎重に生け、室内に飾る時間。庭から採ってきた野菜やハーブを丁寧に調理する静かな時間。ドリス自身は、「忙しい!忙しい!」とは言っているが、そういうプライベートの時間がきちんと設けられているのは、日本人の言う「忙しい」とは、全く意味も質も違う。
こういう生活に皆、憧れを抱くわけだが、彼はむしろ、根っからの完璧主義者で妥協を許さず、人並み以上に不器用で正直であるが故に、彼自身を形成する全ての要素がクリエイションに直結してしまうのではないか、と感じる。だから、彼が毎回のコレクションで、世界を魅了し続ける全く新しい斬新なアイデアを生み出すには、あの庭仕事の時間が、あの生活空間が、必然であるのだ、と理解できる。
ドリスほどの上質な生活を体現するのは難しいにしても、生き方の豊かさ(お金を持つという意味ではなく)と仕事の質は一致する、ということは学ぶべき点。特に人の心を動かすような仕事をしているなら尚更、と肝に命じる。しかし、それに気付かせてくれるこのドキュメンタリー映画はかつて10年前にレストランの片隅で目撃したドリス・ヴァン・ノッテンのイメージそのままの、飾りのない、正直なものなのである。