MOVIE 私の好きな、あの映画。
極私的・偏愛映画論『大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院』選・文 / 吉岡知子(料理人) / May 26, 2020
This Month Themeキッチンにこだわりを感じる。
外ではなく内面の深い部分に向き合って生活をすること。
幼い頃から本が好きだ。文章という限られた情報からイメージを膨らませる作業、とどのつまり妄想することが、私にとってたまらなく甘美なのだと思う。映画はいっぺんに入ってくる情報や刺激が多すぎて私のスペックでは処理しきれないので、積極的には近付かない(映画に誘われたり、薦められたりしたら観る)。自ら観た数少ない映画の中で本を読む時と同じ感覚を呼び起こしてくれるのが、この『大いなる沈黙へ グランド・シャルトルーズ修道院』だ。
ナレーション・照明・音楽なし。フィリップ・グレーニング監督ただひとりだけが厳しい修道院に入ることを許され、ともに暮らしながら自ら撮り続けた。何度撮影を申し込んでも時期尚早と断られ続け、16年後に「準備が整った」と修道院から連絡が来た、というエピソードにもグッと来る。
沈黙を戒律とする修道院の中で、人が発する音は抑制された音階の聖書の唱和、自然に出る咳払いのみ。静かすぎて退屈するかもと思ったものの、あっという間に世界に引き込まれた。
部屋の床に落ちる影の移ろい。開け放たれた窓から服く風で布が不規則に揺れ、修道士の足音が時に力強く、時にひそやかに回廊に響く。食事を配るワゴンの車輪の重低音、皿を洗った後に立てかけたたらいの水滴。ひそやかな動きや表情が輪郭をもって浮き上がる。
鮮やかな手元の動作や躍動感溢れる盛り付けなど、一般的には瑞々しく描かれる料理シーンもこの映画では真逆だ。広い台所で老齢の修道士が黙々とセロリを切って鍋に移す、ただそれだけ。手際は良くもないが雑でもない。あまり研いでいないのか鈍い包丁の音が天井に響き、使い込まれた藍染の修道服とエプロンが作業に合わせてゆったりと動きを変えていく。
風景を撮るのとまったく変わらない、凪いだカメラワーク。でも、これまで観たどんな映画の料理風景より美しい。おいしそうと感じない映画で台所が印象に残るなんて、映画やドラマに登場する料理の仕事もしているだけに驚きだった。でも、すとんと納得もしている。
外ではなく内に向かい、世俗を遠ざけながらもありとあらゆるものと調和している。それは料理だけでなく、この映像の中で映し出される人や植物、虫や雨の音、建物や光、全てのものにあてはまるように思う。
私たちは大きく変わろうとしている。食と暮らしを大切に想う多くの人に、この映画を観てほしい。