音楽家・青葉市子×写真家・小林光大「Choe」
音楽家・青葉市子×写真家・小林光大が紡ぐ、旅と日々の記憶。Choe「Parfume d’étoiles」November 14, 2020
クラシックギターを片手に国内外を旅する音楽家の青葉市子さん。各地でインスピレーションを汲み上げながら、日々、言葉と音楽を紡いでいます。その旅に同行し風景を切り取っているのが、写真家の小林光大さん。日々の生活に戻っても、互いの存在と作品は呼応し合い、ときには小林さんの写真を通して青葉さんが創作することも。
この連載では、旅と日常とまたぎながら2人が生み出したものを「Choe」と名付け、青葉さんのエッセイと音楽、小林さんの写真を交えながらお届けします。
前回に引き続き、青葉さんのニューアルバム『アダンの風』のビジュアル制作で訪れた、奄美の様子を。朗読とともに、お楽しみください。
Parfume d’étoiles
ソテツの群れが私たちを見ている。ホノホシ海岸のごろごろした丸い石たちは、波に撫でられると合唱して、沖の彼方より嵐を呼んで来る。数分で移り変わってゆく島の天気。照 りつける南の太陽に皮膚は透け、赤い海の存在を教えてくれる。火照った皮膚に大きな滴が当たる、雨だ、雨粒を通り越して、急に、シャワーのような豪雨が降りかかる。「カメラカメラ!」と、急いでみんなで機材を守る、面白いほど息のあったチームプレイで、三脚や写真機やフィルムたちは あっという間に大きな岩の下に運ばれた。その代わりみんなびしょ濡れで、あまりにも豪快に濡れていて笑ってしまう。照明のじゅくさんが、石の上に寝転んで「地球すげー!」と連呼していた。私たちはあまりにも小さくて、地球をひたすらに浴びている。数分後、嵐は嘘のように過ぎ去って、再びカンカンの太陽が降り注いだ。
プロデューサーの沖さんは、じっとホノホシの丸い石を積んでいる。そういえば、滝壺での撮影の時も、大事に石を選んで水切りをしていた。そこはまるで、楽園のような場所。巨大なクワズイモをかき分け、木の根っこに結びつけられたロープを頼りに川へ降り、上流へと歩いていくと、亜熱帯植物の木漏れ日の輝く滝壺が現れる。沖さんはお気に入りの石を掌に転がしながら、時折雲を読んで、「あと5分後くらいに光くるから」と教えてくださる。高いところに、シマオオタニワタリが群生している。しばらくすると光が水面に落 ちて来て、足もとまで見えるようになった。何かが足の上にいる。魚?足の上は水の流れが弱いからか、カニやヤドカリや、小さな魚たちが集まっていた。音楽に合わせて水面に歌いかけていると、魚の群れがやって来て、しばらく共に踊り、水を掻くと波紋とともに泳ぎ去って行った。踏ん張っていた裸足がちくりとする。目を凝らして見ると、足の上で休んでいた生き物たちを起こしてしまったようで、小さなはさみの手につままれていた。私たちは、お約束のように、ここでも激しい通り雨に遭った。
つり目がちのゴーグルと、白黒のウエットスーツに着替えたカメラのペンナッキーさんは、まるでシャチのよう。移動中、わたしたちは毎日チップスターを食べていて、ペンナッキーさんは5~6枚を掴んでばりばりばりと同時に食べる。 ちょっとこぼして食べるのがポイントだそう。監督の光大さんは「もったいな」と言いながら、1枚を大事に口に運んでいた。ばらばらな個性が絶妙に噛み合って、絶え間なく花火が煌めいているような賑やかなチームは、永遠にわくわくしていられた。「アダンの風」という、架空の映画に登場するクリーチャーたちは、きっとこんな風に、永遠にやんちゃに点滅していて、と思えば一瞬にして消え去ってしまったりするのだろう、賑やかであればあるほど、儚さを感じるのだった。
目を閉じる。私たちが消えた後、そこには岬に咲くテッポウユリのような華やかな香りが、潮風に包まれ、あまく、奥のほうではすこしだけしょっぱく、漂っている。
都会を歩くビル風の隙間に、ふと、その香りは運ばれてくる。それぞれになった私たちの、次第に忘れてゆく記憶を、ゆるやかに開いたり、まだ知らないはずなのに、懐かしく想ったりする感覚を目覚めさせるトリガーにもなり得る。まったく新しい感覚さえも、もしかしたら、自らがかつてどこかで過ごした楽園の風が、生まれ変わって届いたものなのかもしれない。
からだの中に、たぷたぷの海。
海はすぐに溢れ、辺りがしょっぱい。
世界が潤んで、安心する。
魚だった時のこと、思い出せたようで。
次回へつづく
music & text:Ichiko Aoba photo:Kodai Kobayashi