河内タカの素顔の芸術家たち。
東京の日常風景を美しく切り取るヴィム・ヴェンダース【河内タカの素顔の芸術家たち】Keith Haring / February 10, 2024
そして役所広司は平山になった
ヴィム・ヴェンダースの『PERFECT DAYS』
この連載で映画監督のことを取り上げるのは初めてなのですが、先日鑑賞した『PERFECT DAYS』があまりにも良かったので、この作品の監督であるヴィム・ヴェンダースのことを今回は書こうと思います。ヴェンダースはドイツ人ながら、小津安二郎の『東京物語』の舞台となった東京の日常風景を収めた『東京画』(1985年)という映画を過去に制作しており、他にも山本耀司のパリ・コレクションの準備過程を紡いだ『都市とモードとビデオノート』(1989年)などでも知られています。
今回の作品も現代の東京を舞台にした日本人キャストによる映画なのですが、昨年のカンヌ国際映画祭のコンペティションにおいて主演の役所広司が男優賞を受賞したことで、その注目度が一気に高まったという背景がありました。この映画で描かれているのは、平山という一人のトイレ清掃員です。仕事中も、そして仕事が終わってもあまり言葉を発することはなく、孤独を好む世捨て人のような生き方をしています。ちなみにですが、この平山という名前は『東京物語』で笠智衆が演じた平山周吉と同じです。
そんな平山の淡々とした日常をドキュメンタリーのように追ってストーリーは進んでいくのですが、実は平山が同じように繰り返される生活を自ら進んで選び、それを大事にしながら一日一日を営んでいるということが分かってきます。そこには悲哀や侘しさはなく、それどころか不思議と生きる喜びというものが伝わってくるのです。ヴェンダースは「役所広司は、監督をする者にとって最高の俳優である。彼こそが俳優である。彼こそが平山であり、この映画の心臓であり、魂なのだ。この映画を通じて私たちはゆっくりと平山の視線や生き方を受け入れていく。彼の目を通してこの世界をみつめる。そうすることで彼が選びとった人のために生きるというその姿に癒しを感じるようになる」(公式カタログより) と語っているほどで、撮影現場で一番近くにいた監督が彼の演技に魅了されていたのは容易に想像できるのです。
本作品には、平山が聴くカセットテープ音楽、寝落ちする前に読む文庫本、コンパクトカメラで日々撮り続けている木漏れ日の写真が、謎に満ちた平山の気持ちを代弁するように登場します。ヴェンダースは「僕たちは平山が見たもの、平山が聴いていたもの以外、知る必要はない」とまで言及していて、そう言われれば確かにこの映画で役所は役を演じたのではなく、平山その人になったのだなと思えてくるほどです。また、この映画でカンヌへの参加を決めたのも、平山のことをできるだけ多くの人に知ってもらいたかった、満たされた生き方とはどういうものかを考えてもらいたかったからとも語っています。
それゆえに、この映画がカンヌで高く評価されたのは本当に大きな出来事なのではないでしょうか。でなければ、海外はおろか日本国内でもさほど評判にならなかった可能性だってあったかもしれません。カンヌの審査員の一人は「ヴェンダースの代表作のひとつである『パリ、テキサス』が、より成熟した高いレベルで日本を舞台に再び作り直されたかのようだ。芸術というものの本質を純粋な形で表現しきった作品としてヴェンダース生涯の傑作と呼ばれるだろう」と絶賛していました。
終盤のシーンの、観る人を引き込ませるような平山の豊かな表情から、ああ、彼のように生きられたらなぁと感情移入してしまう人もいるはずで、ご多分に洩れず自分も同じ気持ちになってしまいました。本年の米国アカデミー賞の国際長編映画賞でドイツではなく日本代表作品としてノミネートされたという嬉しいニュースも入ってきましたし、本作品がヴェンダースにとっても特別なものになることを願いつつ、一人でも多く平山に会いに映画館へ行っていただけると嬉しく思います。